「上野千鶴子」という名前を使う事。

ネット上で自分を「賢く」見せるもっとも簡単なやり方は「ブランド」と見なされている
(或いはその個人「だけ」が見なしている?)対象を嘲笑ってみせる事だ。
人気があるのは「朝日新聞」「フェミニズム」「ジェンダーフリー」などで「上野千鶴子」と言う名前も
その中の一つだろう。私が昨日見た女性のブログには「上野千鶴子を前は読んだけど、大した事ない、
男性ばかり攻撃するなんて「モテナイ」女の僻でしょう?」とある。
この女性はまだ未婚だが(私の見たところ結構いい年っぽい)「自分への100の質問」では
「男性はフッたことしかない」と、何故かとても自分を「いい女」に見せるのに「必死」で、つまり
「私はインテリだから上野千鶴子も読むけど男に不自由しないから別に評価しなーい」なんて
大変わかりやすい「表現方法」に「上野千鶴子」を選んでいる。
上野千鶴子」を馬鹿にする事で彼女は2重に自分を「飾れる」わけだ。
上野千鶴子」を読んで「大した事ない」と「評価」できる「私」、と、「評価しない」事で私は男に
「モテル」「私」と、まあなんてお手軽、手放せない「ブランドネーム」だね、
でもこの方、上野千鶴子さんを読んでないと思う。少なくともその書いてる事がわかってない、
上野さんは「家父長制」と言う「制度」を攻撃する事はあっても格別「男性」を攻撃してはいない。
フェミニズム」から「ジェンダー」へと言葉を変えてきたのもその証拠だと私は受け取っている。
彼女は「上野千鶴子」と言えば「モテナイ女」なんてどうやらまわりにいる頭の悪い男の言う事丸のみに
してる風なのがいっそ哀れで「男はフッたことしかない」と言うのはまあ正しい選択と「評価」していいのかもね。
それはともかく、私は専業主婦なのである種の古い「フェミニスト」からすれば「女の真の敵」なのかもしれないが
フェミニズムには感謝している。女性である以上「フェミニズム」の恩恵は必ず受けているはずでそれは
フェミニズム」を攻撃する事でいわば「男の仲間入り」を「目指す」女性の意識にもしみわたっている。
本来、女性とは「家父長制」の中で「慎ましく、大人しやか」で「自分の感情をもたず、表現せず」、が
「理想」とされていて男のために「家父長制」を大いに「尊重」するつもりなら「上野千鶴子」を
「読んだ」なんて書いてはいけないのである。ましてや、「男」を「フッたことしかない」って、
なんて「慎み」のない、恥ずかしい女なんでしょう、、、「フェミニズム」に毒されてる!って私は思うな、
こんな振舞い、「フェミニズム」が浸透してなければ出来なかった事の一つだ。
さてネット上で「上野千鶴子」の「名前」を使って自分を飾り立てている哀れな人のどれくらいが本当に
上野千鶴子さんの著作を読んだ事があるんだろうと思う。そしてどれくらい理解出来たのだろう。
正直、私だってどれくらいちゃんと理解出来ているかあやしいと自分で知っている。
その上で上野千鶴子ナショナリズムジェンダー」の感想を書いておきたい。
でもショーもない事を長々書いたので続きはまた明日、検索記録を当るとろくでもないとこにしか当らなくって、
トホホ、これもホンマ日頃の行いの悪いせいだなあ、、さもしい女にいちいち引っ掛かる私もイタイ。