「ナショナリズムとジェンダー」を読んだ。(その1)

こんな連休中に毎日毎日日記をアップする哀しい人って私ぐらいしかいないじゃないか、トホホ、
今朝も早くに子供の剣道稽古に警察学校行ってきた、夕方からは矯正歯科だよ、ああ1泊旅行くらいしたかった、、
それはともかく、検索記録を見ると毎日ストーカーのようにわたしは「上野千鶴子」さんの名前を
使わせてもらっている。だからなんだ、どうしたいんだ、と自分でも聞きたいくらいだ。
要は最近はまってるって事なんだけどその実、どのくらいわかって読んでるのかどうか、
「正しい解釈」なんてへったくれはかけらほどもない私が、感想文なんて書いていいもんかどうか、
昨日は読んだと称する人に「ちゃうやろう!」とえらそげにいってはみたものの、
結局同程度にしか理解出来てない気もする。
ああ、ぐたぐた、言い訳ばかりやってる事!難しいんです、上野さんの書かれる事は。でも好きなんです。
そういう事!!
私にとって「ナショナリズムジェンダー」はとても感動的な本だった。私が中学生、高校生ぐらいのころ
家永三郎さんの教科書裁判があって同時期ぐらいに慰安婦問題も浮上したと思う。
特に「慰安婦」というものについて当時元気いっぱいだった明治生まれの右翼ばあちゃんに「なあに?」
と聞いたところエライ剣幕で怒られて、それでコソコソ自分で調べはじめた。私のばあちゃんというのは
生っ粋の大阪人で、大阪人の当然の権利として「チョ−センジン」を嫌っていた。
ばあちゃんから聞かされる限り幼かった私などは「チョ−センジン」とは実は人間ではなく
「チョ−センニンジン」みたいな、なんかこう漠然とした不安、夕方一人でかえる道、
もしここで「ショッカー」なんぞがでてきたらどうしよう、的、子供に意味のない恐怖を誘う道具みたいな、
そういうイメージがあった。うちの婆ちゃんはかなりヨタも飛ばす人だったので大きくなってからは
話を半分に聞くようになって、実際、学生時代、知り合った韓国籍の友達は物凄くいい人だったので
もうばあちゃんが植え付けようとした「チョーセンジン」ヘの「恐怖」は払拭されている。
ばあちゃんも、嫌っていても憎むまではなかったと思う、可哀想な子もいた、と私が大人になってから言ってたし。
大和魂」の塊みたいだったばあちゃんにとって日本が犯した罪の証しを直視したくない、そういう意識が
慰安婦」と言う言葉に反応したといまでは思っている。
ちなみにばあちゃんにとって「東条英機」はアホンダラアの「陸軍」出身で日本をダメにした
国賊」であったがため、「大東亜戦争」を当時も容認していなかったようだ。
「うちはネーヴィーの家系!」っつーのが自慢だったからなあ、、
それはともかく、私が「戦争犯罪」と言うものの中でもっとも許されざる罪だと思ったのが「慰安婦」だった。
もしそれが「本当」に行われた事であったなら、なんと大人達は汚らしい事をしてきたか、と
まだ多感(?)な少女だった私は衝撃を受けたのだ。実家の母は戦争から帰ってきた人が
「むしろみたいなものに転がされた女の人がいて皆並んでまってた」と話しているのを立ち聞きした事が
あるそうだ。口コミやら何やらでそういう存在があった事を私は確信し、これは自分ももし戦争なんぞが
起こればそういう「モノ」にされるかもしれない覚悟をもたねばならないのだと思い、いざと言う時には
舌を噛めなんていうババアのたわごとを真に受けて「舌噛むなんて嫌だなあ、根性ないし、、、」なんて
真剣に思いつめた時期もある。ああ、なんとアホな子供だった事か!
それから幾星霜、すっかり立派なおばちゃんに成長した私はそれでも青春の心を無駄に悩ませた戦争犯罪について
ずっとどうとらえていいものか戸惑っていた。また、「新しい歴史教科書を作る会」なんて本当は
「新しく歴史を作りかえる会」のくせに言葉の使い方も知らん連中が儲けてなんぼ、のサンケイ系列に
利用されてブイブイいわすのを心のそこから腹立たしく思っていて、「トンデモ」教科書、としていつ
「と学会」は認定してくれるのかと思ってたら最近唐沢兄はフジとは切ってもきれない仲になってるから
もう無理ね、、と哀しんでいたところ、この「ナショナリズムジェンダー」を読んで「ああすっきり!」
胸のすく思いとはこの事だ!の読後感を覚えた。(だらだら長く書いたので、明日に続く。)