久々のツボにはまる。「エマ」と「差別」と「表現」と。

ブログの楽しみには検索記録を辿って新しい情報を手に入れたり同じ対象で別の意見を持つ人のところを
覗くというものがある。しかし「ディケンズ」の検索ではハテナの説明に度胆を抜かれた。
おいおい、ディケンズの評価が死後に上がっただって?むしろ死後すぐに叩かれたはずなんだけどな。
それにしても今回の「エマ」、あの「人さらい」表現について何か他の意見あるかと思ったけどやれやれ、
ふれたところはとんでもない電波ばかりが集まってきてる。なんだろうなあ、コメント欄で馬鹿晒す暇あったら
書いてる事が本当かどうか図書館にでも行って調べればいいのに。
ディケンズユダヤ人表現について調べるだけでも一発あの絵はでてくるよ。手許に資料がないんで
どこのどれとは言えないが多分「パンチ」画(日本では「ポンチ」画として紹介された)に
「エマ」に出てくるあの「ブラックサンタ」なんちゃって作者がとぼけてる人さらいそっくりな風貌の
ユダヤ人の図があるはずだ。かなり有名なものであの無表情な目、ずた袋をしょったスタイルで見てるこちらを
圧迫するように道のど真ん中に立ってる。その横に小さく母子がこわごわと男を見ている、って感じでいかにも
その時代のユダヤ人に対する嫌悪感、恐怖感を示したようにに描かれている。
当時の社会状況としては輝かしい産業革命帝国主義の裏側で貧富の差が増大し、子供をも労働力とする状況、
(これはディケンズのデイビッドコパーフィールドなんかでもよくわかる)また富裕層である極一部のユダヤ人に対する
イギリス人の反感、東欧の迫害によりロンドンに大流入してきた貧しいユダヤ人への不満等、そういったものが
ないまぜになって一種の都市伝説、「ユダヤ人がズタ袋に子供をさらって売り飛ばす」みたいな想像図が
出来上がったんだと思う。この「ズタ袋」っていうのがミソで、ユダヤ人はイギリスでは古着を商う事が多く
(それ以外の職業にあまりつけなかったものによる)「ユダヤ人」といえば「大きなズタ袋」というイメージ
が流布していた(ディケンズでいえばオリバーツイストのフェイギン)。
当時の政府が社会の不満をユダヤ人に向けさせようとする意図があったようだ。そうした意味のない対立を煽るかたちで
つかわれた一連のユダヤ人の「戯画」をあれだけ時代考証など詳しく調べてるはずの作者が「知りませんでした、ポッカーン、」
ですむのかどうか。あの「ユダヤ人虐殺はなかった」なんていうトンデモ記事を一度のせただけで「マルコ・ポーロ」が
「つぶされた!」っていうイメージはまだ強いし、(もっとも売り上げが悪くてこれ幸いとつぶしたんかもね)
ま、「南京大虐殺はなかった!」なんていうなら同じように「ユダヤ人虐殺もなかった!」っていうべきかも
しれないと思ってやったんだろうけどね。さて今回、これはちょっと酷すぎるんじゃない?「エマ」ってのが
私のはっきりした意見だ。コメント欄には「あれはアンクルサムじゃないの?」なんて「無知」の「無恥」を晒すやつもいて、
おやおやじゃあ「エマ」アメリカにわたって兵隊さんにされるの?アンクルサムはアメリカ人の婦女子をさらって
兵隊にしてたの、へえー、って感じ。なかったはずの従軍慰安婦かしらね、これは新展開ってやつ?
おっと、ツボにはまってるから論点がずれちゃった。
私自身は「エマ」をあんまり評価してない。だって小間使いが紳士の真面目な恋愛の対象になるかどうか
もし当時の社会状況をきっちり調べてれば無理だと思う。もちろんファンタジーだし「今」の要素を含ませて
「マンガ」を描くのは自由だけどそういう感覚だけ「現代」のものを持たせておいて「人さらい」表現だけ
「当時の時代を表現した」っていうのは私としては馬鹿げてるって気がするね。
作者は当時も小間使いと紳士の間の通俗恋愛小説が存在したっていってるらしいけど、どの本をいってるのか
勉強不足で思い当たらない。そこまで詳しく調べてるのならその当時の社会の流れにおけるユダヤ人差別くらい
わかりそうに思うんだけどな。「ハテナ」の説明による「通俗小説家、ディケンズ」でも「小間使いと紳士の恋愛」
が思い浮かばん。もう一回、読みなおして探すか、ちょっと専門づいてきたな。学生時代の勉強の続きをやってみるかな?
違った角度から読みなおすのも面白そうだ。