「続」、「エマ」と「差別」と「表現」と。

さて件の「エマ」のコメント欄、相変らず馬鹿だけが残っていつまでもグチャグチャやってる。
連中は何が言いたいのかね、「表現の自由」、なら感じたままをブログに書く事も「自由」だろう、
「寝た子をおこすな」、始めっからお前がスルーしてりゃ済む事だろう、「エマを潰すのはこのブログからだ」、
いやそれはお前がやってる事だって、と私なら叩き返すとこだな。馬鹿にものを教えちゃいけないって例が
こんなところにも。私は前々からこの作品が「よく出来てる!」と言い出したのが一体誰なのか不思議でならない。
私自身は1巻目の数ぺージで「あ、こらあかん」と投げたんであれを評価する人たちがどういう人なんかよくわからんかった。
「時代背景をよく調べて書いてる」なんて評判だからてっきりその時代を詳しく勉強してる人がそういう判断を
下したもんだと思ってたけどどうもあのコメント欄を読む限りそうとは思えなくなってきた。
あの時代をよく知ってる読者達なればこそ、あの最新刊の「人さらい」描写はまずかろう、と私は思ったんだが
どうやらなーーーんにも知らない人がただただマンセーしてるものらしい。まあ、そんなもんか、
専門的に研究してる人があれを読んで違和感を感じずにいられるか、多少疑問に思うしね。描かれる世界と、
実情はまるで違う事が多い、それでも平気で楽しめる人もいるのかなんともいえんがあの「人さらい」の絵に
「ひっっ!」とならないヴィクトリア時代研究者がいたらその鈍感さに悲鳴をあげるな、私は。
マルコ・ポーロショックの一時期、かなりいろんなとこに自主規制が働いたようでおやおや、こんな本まで、
ってのが姿を消した。今はようやく恐る恐る顔を覗かし始めてるのでやれやれって感じ。物凄くその動きが
すみやかだったのでこれひょっとして、、っていう感覚がなければわからなかったと思う。同じような事がもし
「エマ」に起こったとしてもさて、この程度の知識レベルの読者に何故なのか理解できるのかどうか。
アニメ化までされた人気作品だからこそ読者達にいつまでも楽しんでもらえるよう、作者は下手に突っ込まれない
ものにしなければならないはず。それが読者達への「責任」だ。
主人公のエマは子供時代にも「人さらい」にあっているがその時の人物には「顔」がない。なのに今回あえて
ああいう造型の「人さらい」を出したのは「わざと」ととられても仕方がないんじゃないか。だからあえて
指摘する人間の存在は必要だ。こういうのは問題ではないかという態度を残す事、その方が多分「エマ」という
作品のためでもあると私は考えている。こんな自主的な動きもあったという事、もし睨まれることがあっても
日本人側には何の悪意もないのだという「反証」にもなりうると思う。わたしはただただ「こーわーいー」だったが。
と、書いてやりたいが生憎私は他人のコメント欄は汚さない主義。馬鹿もそのうち飽きるだろう。
それにしても他人のブログで馬鹿を晒す、妙な人がいるもんだなあ。
私のコメント欄ウオッチングはまだまだ続く。ちょっとこれ特集にしようかしら。