夏の旅行とイライラと森茉莉とうちのばあさん。

夏の旅行の予約を電話でとろうとしたら出てきたオペレーターが無茶苦茶つかえん。さっぱり要領をえないし
この時間はいないと言ったら妙な時間に携帯をならすはおまけに電話すると言った時間に電話がかかってこない。
なにやっとるんじゃ、ええかげんにせえ!どうもこのカード会社あかん、もう来年からはやめよう、情報流出もあることやし。
昨日の朝日新聞の書評欄では野口先生はお休みだったし。とほほ。
最近「贅沢貧乏暮らし」と言うのを借りて読んで面白かったので森茉莉を読む。
この人はヤオイモノの御先祖みたいな人らしいが私はそっち系は殆ど知らず「甘い蜜の部屋」と「私の美の世界」を読んで
一時期好きだった。描写の色彩が鮮やかで料理の比喩が実に美味しそうなんだな、「薔薇色のハム」とかね。
「贅沢貧乏暮らし」は森茉莉の生活リスペクトものでエッセイの中の料理を再現してたりして楽しい。
森茉莉で好きなのは食べ物と着物に関することのみだから河出書房から出たムックよりこっちを買えばよかったとちょっと後悔。
どっちも図書館にあるからね、手許に置くならお気楽なものの方がよかった。
しかし森茉莉を読むといつも思うのに明治生まれである程度以上の育ちをしてきた人ってのは「かたずけられない女」なんだろうか。
私の明治生まれの婆様もそうだった。父方のばあさんなんだが本人曰く「おんば日傘」で育てられ、
「箸より重いものはもったことはなかった」そうだがそのせいか家事は異様に下手だった。
料理はそこそこにしても掃除と言う観念がない。森茉莉の部屋は凄惨であった、と当時の女性編集者が書いてあって
うちのばあちゃんも凄まじかったな、と思い出した。何でも積む、そして忘れる、という人で
そういう人に育てられた私がいかにして家事に関して研究を重ねたか、いや、この点だけは自分を誉められるね、えらいよ!わたし。
幼少期はこんなもんかと思ってたがもう少し社会性が出てくるとよその家と私の家はどっかが違う、と思うのに
それほどの時間はかからなかった。だから子供の頃から家政に関するエッセイやらなんやら読むのが大好きで
生涯の仕事として専業主婦を選び、我が家のマネジメントコンセプトはグローバルを採用。
ある点はアメリカ式、ある点はドイツ式、フランス式、イタリア式、イギリス式であったりしてでも不思議と中国の家政学的本は
全然読んだことないなあ、あるんだろうか。日本式はもちろん「おばあちゃんの知恵」。
でも実際のばあちゃんはてんでダメだったんだから笑う。
年とっても非常に綺麗でしかも苦労がちっとも身につかない面白い人だったので大好きだった。
そういう記憶が森茉莉に投影されて今浸ってる。
あと「ミセス」の通販でやっと手に入れた野田琺瑯のホワイトレクタングルシリーズが秀逸で嬉しい。
こんなことでも言って気を紛らわさんとやっとれんわ。
去年のブセナテラスはよかったなあ、、、