野口武彦著「江戸のヨブ」

大分前から読もうと思ってやっとこのたび読み終えた「江戸のヨブ」。
筑摩版「江戸の歴史家」に入ってたものもあったので早めに読めた。
初出誌はいつものように「群像」と「新潮」、枚数制限があるのでしょう、もうちょっと詳しく、、なんて思う事いつも。
でもこれくらいの長さの方がいいかな、読みやすくて。格別気になったのは「近代小説の懐胎−幕末の旗本文士鈴木桃野のこと」。
先生が取り上げられた「反古のうらがき」の中にあるという「幽霊のはなし」。結構内容がえぐくて、
これは先生が付け足したのか、はたまたその当時の人の文章そのまんま意訳してんのか?と気になった。
もし当時の人がこの内容を書いていたならなかなかすごい。
どういうものかというと、要は2回結婚した女がいて1回目の時は夫婦生活(セックスのことですな)が
上手くいかなかったけど2回目はうまくいってどうのこうので結局、その道の悦びを知らない女にとって
「房事」は「灯火が天井を照らしているのを見上げて垂木の数を数え「あら、昨夜より一本多いワ」などと数え直すのでは
どんなに侘びしかったろう」なんて表現してある。先生はカッコで括ってあるのは自分が意訳した部分だと書いてあるので
こういう内容を150年ほど前の旗本の男が書いたのか、たいした遊び人だったのか、「鈴木桃野」。
どうも昔の武士というのは今思われてるほどお固く真面目じゃなかったように氏家幹人先生や野口先生の本を読むと思えてくる。
それはそれで可愛げがあるしでもこれじゃ滅びる種族だったわな、と感じていとおかし。
大体私は「武士道」とかいうもん一切、もてない男がひねり出した「妄想」とおもってるんでこの手の話を読むのは痛快だ。
女をわかってる人がいたという事以上にこの話の全部を読むと男のへたれぶりもよくわかって面白い。
男の猥談はえぐい、と聞くが、女以上にみえがあって大変なんだろう。しかしこういう話が普通にできたという事は
やはり江戸時代の人は相当さばけてたのかも。氏家幹人先生が口を酸っぱくして著作の中でいわれてるとおりだ。
人口の約3割(だったか?)の武士階級がこんなにさばけてんのなら「いわんや庶民をや」、というとこか。
いや、先生御立派、さりげなく、こんな話を取り上げたりして洒脱さに脱帽でございます。
この本の中には氏家幹人先生の著作も顔を出す。仲良しでしょうか、嬉しいなあ、
二人ともこれからも沢山本を出してね!買わないけど。
NHKニュースでは少子化が深刻化したと言ってたがそれがどうした、いい事じゃないか、と考える。
なんで自民党の爺い養うために子供産まなきゃいかんのだよ、厚かましい事ばっかりいいやがって。
この件聞くと不機嫌な私。私は二人子供産んでて人類に対するノルマは果たしたと思ってるが。