「落語家 桂枝雀 七回忌」を観る。 

NHK BS ハイビジョンをつけると真っ昼間から軍服を着た男達がろうろうと歌っていて目が点になった。
ロシアの軍隊の合唱隊だったがいや、一体NHKどうしたんだ?と目を疑ったよ、やれやれ、、、
で「上方演芸 桂枝雀」を観る。演目はよく知ってるものばかりでも在りし日の姿を見る機会はそうはない。
枝雀さんが病に倒れなくなられたのを知った時「何故?」という心からの怒りを感じるほど哀しかった。
子供のころから落語といえば「枝雀」だったから。
漫才ブームにおされてNHKでさえ落語の放映が稀になったころ俳優になった枝雀さんをちょっと無理があっても
大好きだから観ていた。
枝雀さんの落語は爆笑の中に巧みに潜ませた皮肉の刃があって鋭い知性の敏感さがほのかな苦味も感じさせ
あっさり忘れられる笑いではなかったと思う。
枝雀さん以外あとは米朝一門をぽつぽつ知ってるだけだから詳しくないけれど。
今はCDで聞く在りし日の枝雀さんはやはり変わらず面白い。
亡くなられてからしばらくして出た評伝を読むと本当にその身を削って芸に挑んでいたんだな、と哀しくなる。
人生はもっと長かったはずなのに、それすら苦痛に感じられるほど自分を追い詰めていた。「必死」で己の道を探されていた。
「笑い」にそれをするだけの価値があるか?と問われれば「ある」と答えられる人は少ないと思う。
「緊張の緩和」が笑いなのだから「必死」では「笑い」にはなれない。けれど斜に構えただけでは笑いは誘えない、
それは自己満足のつまらない冷笑に過ぎないのだから。「内輪うけ」ってやつ、よく東京のお笑い番組に多い手法。
途中から観たら何がなんだかわからなくてつまらんといえばそれが又優越の蔑笑を誘う。温かい笑いではない、
この世でもっとも下らない人間の一番醜い部分を浮き彫りにして哀しくなる笑い。そんなものが妙に今は増えてるようにも思う。
でもその中にも面白いものは結構ある。枝雀さんにみせたかったなあ、「ヒロシです、、」枝雀さんはどうおもったかなあ、
「やられた」って思うんじゃないかなあ、生きててほしかったなあ。
最近読んで感動の涙、涙、の「失踪日記」、あれも読んでほしかったなあ、あの静かな哀しみ、優しい哀しみ、それから笑い。
やはり身を削って立ち向かう作家の年を重ねた素晴らしさが多分本人には意識しないところでよく表れていた。
本当に長生きして欲しい惜しい人だった。米朝一門はざこば師匠が苦しそうでちょっと哀しい。
でもがんばれ、ざこば!私のアイドル!!
米朝の落語は苦手なのに何故かその一門が好きな私、もっと年とったら米朝のよさがわかるんかねえ。