徳川慶喜君の生い立ちを見る

幼少期のエピソードも豊富な慶喜君には有名な、寝相を直すために
剃刀の刃を真横に突き立てられていた、というものがある。
寝返りも打てへんやんか、という突っ込みはさる事ながら
別々の著者がこの事を取り上げているのにも関わらず出した結論はお付きの家来が夜中にこっそりそれをかたずけたのを
慶喜が知って後年、危ない事が会っても結局誰かが助けてくれると思うようになった、である。なーんや、それ。
30歳もいくつか過ぎてやった事の根本がそんな事にあると書く著者達の常識を疑うなあ。
星飛雄馬のパパなみに無茶苦茶な水戸斉昭の生い立ちの方に興味がわく。
文字どおり「血の汗流せ」じゃあーりませんか。
水戸候は井伊直弼君と同じく部屋住みから殿様になったせいか大変似たもの同志のようだ。
育ちが悪い事にとても恨みつらみをもってるので上昇志向が強いね。
だからどうにも仲が悪かったようだ。ヤあね、同族嫌悪。
両方とも太った竹中直人みたいに濃そうな雰囲気があっていや。
そのパワフル父ちゃんに育てられた息子がどうなったかというと、
慶喜君の場合お母さんがやんごとない本当の公家の姫君だったので身分からすればおっとり具合も申し分ない。
でも何のかんいってもお母さん貧乏公家の娘なのでわりにしっかりものだったようである。
明治も半ばくらいに慶喜君の家に遊びにいったりして結構元気。
子供も当時としては晩婚だったわりに(確か26〜7歳)ちゃんと男の子を二人も産んでいる。
美人で相当な学もあったようだ。わりに好きな人である。
慶喜君は当時の外国人の目からみても綺麗なお殿様とうつったらしく
アーネストサトウやらロッシュ、パークスも容貌を褒めている。
家茂君の事は誰か「小太りの歯の悪い、けれど気品のある青年」と書いていたらしいけど
慶喜君は現代の私の目からみても大変ハンサムに見える。父ちゃんが竹中直人だったのに、この美貌は母親譲りだね、きっと。
さて叩き上げ父ちゃんを持った息子がどうなるか、というと結論が見えてるかもしれないンでここはそれ、
井伊直弼君の息子がどうなったか明日書く事にしましょう。
井伊直弼君の息子も父ちゃんが猪首の竹中直人のわりにすらッとして綺麗なお殿様だ。
この人の母親は残念ながら正室ではない。何人かいた側室のなかの誰からしい。
なんにしてもお母ちゃんは美人に限るね。息子が綺麗に生まれます。男が成功したい意味の一つをみたような。