竹島なんかどうでもいいから扶桑社は黙っとれ。

平和になると悪い奴らが威張れないという大変な弊害がある。
正しい歴史を教える事の重要性についてつくづく考える今日この頃、国辱もののあの「歴史を都合よく作り変える会」
なんて連中がやってる事に心底怒りを感じる。もうええかげんにせんかいっっ!!とおもってる人間の方が
確実に多いんだろうがいかんせん、そういう良識のある人間は慎ましやかなので声をあげない。
先日ちいとばかし福島県在住の人間のホームページを見にいってきた。書き込みページを見るとまあ、いるわいるわ、
声のでかい馬鹿ばっか。穏やかにこういう反対意見もありまふ、みたいな事書き込んだ人には
「講釈師、みてきたような嘘を言い」という川柳を思い出してしまうようなどっかでそれ書いてあったな、どこだっけ?
と思わせる事をとうとうと書いてくる。イっちゃってる頭は何言ってもダメね、の典型的例で
なんかかえって馬鹿の御本尊みたく有り難くなってしまいそう。
愛するダーリンが「竹島やるからヨン様頂戴」って言えば丸く治まる、と名案を言っておりますが
いかがなもんでしょうね。私はダーリンひとすじ❸❸なので別にヨン様いらんけど竹島くらいあげたら?
どうも韓国にも日本の右翼みたいな馬鹿がいるみたいだから「あげるね」ってにっこりしたら
お仕事なくして困っちゃうのかな、きっと日本が嫌いな事を売りにしてる人だろうから。
徳川慶喜君を色々調べてるとしみじみとほほな人だったんだなあ、と気の毒。
徳川慶喜家にようこそ」を書いたご当主の本には「慶喜は維新後の方がよほど幸せだった」と書いてあって、
私もしみじみそう思う。尊王攘夷水戸藩出身で教育パパゴンの斉昭君に「ど−しても、ど−しても、将軍になれ」
と洗脳されたわりにはすいっと攘夷熱をやり過ごし、憧れのおフランス国風に色々京都時代楽しんじゃってた感じが
好きだなあ、なまじ氏素性がよかったばっかりに大変な損をしてしまった人じゃないかな。
慶喜君は京都でおフランスごっこをやったらしくお気に入りの女の子達にドレスを着せてフランス語を習わせたり
ヨコ乗りの乗馬を女の子に楽しませていたらしい。楽しげな人だ。
江戸方面の人は慶喜嫌うけど京都では慶喜君は嫌われてなかったようだ。話がないからね。
慶喜君エピソードで私がもっとも好きなのはナポレオンから貰った服をきて和宮様のところに遊びにいって
「そんなかっこうをして私のところへ来ないで下さい」と叱られたというものだ。
和宮様と慶喜君の歳の差はほぼ10才、身分からすれば和宮様の方が上とはいえ夫の家茂君の後見人の
年上の慶喜君にこうもはっきりものを言ったという和宮様はやっぱり素敵。
しかし、そのエピソード出来過ぎで怪しい。いったいいつの事だろう。
慶喜君は維新後大人しくしてたようだから維新後ではないしそれ以前というと
京都に詰めっきりで江戸に帰ったのは文久3年前後じゃなかったッけ。
慶喜君はその短い期間に和宮様に会いにいくほど親しかったのかな。
和宮様の元の婚約者であるありすがわ家出身の御母様をもってる関係上
ちょっとまずいんでは、と思ったりするが下々にはわからんね、おつきあい。
慶喜君は自分の正室の御葬式はいいかげんにすましたわりに和宮様の命日は
欠かさずお参りに行ってたようだから慶喜君は和宮様を好きだったんでは
と思ったりしてしまう。これで小説家一本ネタができそうだけどな。
さて、面白慶喜君、しばらく続けよう。