徳川慶喜君をかばう。

前々から何となくこの人の事が気になるので本格的に調べはじめた。
まだ数冊しか本は読んでいないけど、なんか明治維新のドタバタって壮大な兄弟喧嘩みたいね、
西の東のといって別れたところで結局あんた達腹違いかもしれんけどタネは一緒じゃない。
女兄弟入れたらもう家系図むちゃくちゃ入り組んでこんな国を挙げてのお家騒動にいちいちつきあっとれんわ、と思う。
松平容保君とは何のかんのいって結局慶喜君と仲良しらしくお孫さん同志が沢山結婚していらっしゃる。
徳川慶喜家のご当主は容保君、慶喜君両方のひ孫さん。
なんだろう、これって、あの会津藩まんせーのキ○ガイさん達はこの事実をどう見るんかねえ。
慶喜君が可哀想で仕方がない。あの鳥羽伏見で逃げてなかったら慶喜君、きっと切腹させられてたね、へたれの家来どもに。
帰って正解。小栗上野介の徹底抗戦派だっていざとなれば、慶喜君の首やるから和解しよう、位はやりかねない。
公武合体にせよ、尊王攘夷にせよ、とにかくあの時代誰か生け贄がいなければ治まらなかったんだろう。
誰だって理不尽な生け贄はいやよねえ。慶喜君のために腹切った人って誰かいたっけ。
あ、江戸城開城の時川路聖模様がピストル自殺したっけ。でもこれはちゃっかりした川路様がもう卒中になってよいよいだし、
孫にいつまでも迷惑かけてはいかんと気をつかった可能性大に思える。
大阪城でも誰か残された人が腹切ったんだっけ?けどもし今よく知られてる武士道から考えると数が少ない気がするなあ。
もっと鳥羽伏見での負けを恥じて腹切る人多くてもよかったと思う。
会津藩でも容保君の身替わりに神保修理君が江戸で腹切らされたんだよなあ。この人は恭順派だったから慶喜君へのあてつけか。
やだやだ、死に気違い。「死狂い」って川路様がおっしゃったッけ。武士という「商売」の事。
なんか慶喜君が悪いと断じる連中って自分が死ぬのは嫌な癖に人を死なせよう死なせようとしてるみたいで腹が立つ。
先に死ねよ、なんで死んでない?って聞きたいなあ。私が慶喜君ならいってたね。そんなに死にたけりゃお前が先に死ねって。
気に入らないなら一人ででも大阪なり京都でもに居残って死ねばいい。それができなかったから慶喜君を悪い事にしたんだなあ。
つくづく慶喜君が可哀想。徹底抗戦とかいって函館までいった連中も結局許されて結構華やかに人生歩んでたりするし、
その点恭順したのに不遇だったらしい高橋泥舟とか山岡鉄舟なんか気の毒だなあ。
慶喜嫌い派の大好きな土方君だって大阪で死んでないしなあ。会津藩でも死んでない。函館でやっと、、って感じだし。
私は長い間土方歳三君っててっきり京都で死んだんだとばかり思ってた。最近、へえ、函館までいったの、って知ったんだけど。
結構しぶといじゃないか。それはそれでいいけど。
この世の中もどうも頭の悪い連中がのさばりはじめて「お前が悪い、お前らが全部悪い。俺が正しい。俺が全て正しい」
と大声でがなりたててうっとうしい。そういう連中がなんでもかんでも「慶喜が悪い」みたいな事いってるようなので
わたし慶喜君の味方です。ちゃんと語られてない事一杯突っ込みどころ一杯なのでしばらくこのへんつっつきます。
いや、色々面白いネタあるんだよ。容保君の側室はいつからか、とか会津藩の姫様以外と結婚してたとかね。
そういう事ちっとも書かないんだからなあ、、、本当歴史好きって片手落ち。