ある種の男はなぜ個人の感覚を公憤に変えるのか問題。

まだ「女がソロキャンなんかするのはー!」というツィッター転載の増田があって

要するに件の女性の「自衛」方法が気に入らなかったって話じゃないかな、

ソロキャンに来たのに夜中にしつこくおっさんにライン交換なんて言われたので

それを映像にとることにより注意喚起と、何かあった時のための記録をした、

これは立派にその場における最高の「自衛」だったわけで、

彼女が映像を取り始めたことで、下手に拡散されて犯罪の証拠にされるのを恐れて

あのおっさんはとりあえず引いたんで、その上に彼女は通報までしてちゃんと

「何かあったら私は黙ってませんよ」を示している。

これほど臨機応変で見事な「自衛」を私は今まで知らなかったので、

これからやばそうなことがあれば映像で記録をしようと心に決めている。

で、「女のくせにソロキャンなんかしたら襲われるにきまってるだろ!」ってのを

「女は甘やかされている!」の「公憤」に変えている増田だが、

「弱いものへは何をしてもよい」が社会常識であれば、一般人は「自衛」のために

その辺をうろつくのに刃物を常に持ち歩くのが「当然の権利」となり、

ご近所を散歩している老婦人たちが刃物でめった刺しにされるのも当然の出来事、

駆け付けた警察官がいきなり撃ち殺されるのも撃ち殺した犯人にとっては「自衛」、

「自分が撃ち殺されると思った!」との主張らしいので、

まことにこの世は猟銃を買ってくれる議員の親を持つ男性には極楽であることよな、

殺された警察官も仲良しの老婦人たちも「自衛が足りなかったー!」と

もちろん、増田は主張するだろうから、そこまでいけばむしろあっぱれ、

私はこの増田が暴力をふるいまくる前に打ち殺すことを「自衛」として

「個人的」に推奨するが、そういえば、ここは法治国家

特段他人の権利を侵さなければ何を思っても自由であるので、

これが「現代女性は社会に甘やかされている!」というのであれば

「自衛原理主義」とでもいう、どんな危険も自衛さえしておけば大丈夫!なんて

考え方もまた、社会に甘やかされている。

たいていの悲劇は「自衛」などでは防ぎようのないものであるのだよな。

なんにしてもソロキャン女性のとったあの場で最良の自衛方法が気に入らない、

それを「女のくせに」にすり替える無駄に姑息な男はキャンプにはいかないようにね。

犯罪予備軍が自ら犯罪を行うことを「自衛」するのは大いに歓迎。

ほんまにどんな法治国家なんだよ、ここは。あきれるわ。