ミステリー感想 「黄昏に眠る秋」ヨハン・テオリン

中学時代から40年以上ミステリー作品を読んできて、

作品には「読むべき時」があると感じている。

クリスティやドイルのような古典作品は子供時代に読んでも理解できるが、

PDジェイムズの「女には向かない職業」を初めて私が読んだのは、

「もっとも可憐な女性探偵」として有名なこの作品のコーデリア・グレイの年齢より

さらに若かったので、展開の面白さはわかったが「大傑作!」とまでは思わなかった。

20年後、中年となって読み返した時、あまりの傑作ぶりにめまいを覚えるとは

年齢によって理解度がかわるものだといまだ驚いている。

若かりし頃は展開に驚いたが中年過ぎて読むと主人公のあまりの若さ、痛々しさに、

彼女の母親の年齢であり、女性としてか弱いその年代を抜けてきた経験から

事件の悲痛さが沁みる。

ミステリーという通俗生活小説は、読むべき「時」があるようだ。

「いつ」読むかによって味わいが変わってくる。

さて、「黄昏に眠る秋」

この作品は「エーランド島四部作」の第1作目で

現在の私はこれを読むにふさわしい年齢であった。傑作に大号泣。

幼い子供が大人たちがちょっと目を離したすきに霧の中に一人迷い出て消える。

どこを探しても見つからないまま、20年。

親に預けていた時に子供を失ったことで家族ともほぼ断絶状態になった母親は

荒んだ生活をしている。そこに老人施設で暮らす父親からいなくなった子供に関する

情報が入ったと連絡があり、しぶしぶ出かける。

面白いのが探偵役はこの子供を失って母親ではなくなった女かと思わせて

無力に見える施設住まいの父親である点で、シェーグレン症を患う老人で

頭脳も年齢に応じて決して明晰ではない、しかし年齢が培った我慢強さで

粘りながら真相へと向かう。「老い」のリアルさが今そのとば口に立つ私には沁みる。

唐突に母親ではなくなった、あまりに過酷な試練で干からびてしまった娘に

父親が示す最後の愛情は言葉に出来ない豊かさを感じさせる。

親の老い、死を見てきた私には「あってほしかったもの」としてほんのり苦い。

少々ネタバレするが、話は最初から「犯人」と目される島の鼻つまみ者、

ニルス・カントの過去の物語も並行して語られ、

事件が起こった、クリスティいわゆるところの「ゼロ時間」へと向かう。

主に二つの時間を行ったり来たりする「節」が非常に短い。

その短さが読みやすく引き込んでいく形になるのは

スティーグ・ラーソンの「ミレニアム」以来、北欧ミステリの定番なのか、

様々な時間の「章」がパズルのピースでやがてすべてがあらわになる手法は

ル・カレの「ティンカー・テイラー・ソルジャー・スパイ」で既に用いられていたが

現在のものとはちょっと違う。

(ちなみに「ティンカー」を私は良い時期に読んでいるのでピースが理解できた)

「黄昏」に話を戻すと、「章」まで行かない短い「節」がどんどん短くなり

臨場感あふれる。その構成は作者がジャーナリストである故なのか。

この作品はスウェーデン第2の都市ヨーテボリで生まれ育ち

地元で長らくジャーナリストとして活躍しているヨハン・テオリンの初長編で

英国のCWA賞を受賞している。故にか、翻訳はスウェーデン版ではなく英訳版から。

作品中にちらりとかの地方の新聞記者が出て、エピローグにも現れる。

エピローグで語られる感傷は作者自身のものなのか、これもまた味わい深い。

小さな島で起きた時間を超えた何組もの痛切な親子の物語に感動を覚えるのは

幸いにも私が子供としても親としても経験がある人間であるからか。

星は金星5つプラス1。長い作品だが半世紀近く生きた人にはぜひ。