事件の加害者をなぜか「よい人だった、、」と語りだす「知人」問題について。

基本的に本当の「知人」ではないと結論する。

大昔、わたしの同級生が酷いDVでニュース沙汰になった時、

なぜか「後輩」が「すごく良い先輩でした!」と語ったことがあって、

「まあ「後輩」なら知らんわな」と

外面が良かったんで一部後輩には受けが良かったんだろうが、

私たち同級生は殺人未遂に近い暴力沙汰を彼が起こしたと知っても全く驚かなかった。

むしろ「よくもまあ、今まで隠しきれてたもんだ」と感心した。

本当によく知っている人間は口をつぐむ。

もちろん取材に来なかったのもあるが

「いつかやると思ってました」と言えば「わかってて何故!」と共犯になる。

ご近所の誰がそんなことを言ったか、すぐわかってしまう場合もある。

「手の施しようのない阿呆でした」などといって

後から逆恨みで家に火をつけられても困る。

本当の「知人」は語らない。「名前は知ってる」程度の人ほど語りたがるか。

不思議なのはとにかくどんな加害者であれ、

マスコミは「いい人だった!」にしたがり、それでどんなメリットがあるのか、

小田急事件の加害者も「本当は温厚な人!」のような情報があるものの、

温厚な人間が手当たり次第にナンパをするかね?

小田急事件は加害者が派遣社員だったの報で

「かわいそうな弱者男性!」の声があったものの生活保護もうけているようで

果たしてマスコミ好みの「弱者男性」であるのか、はなはだ疑問だ。

凄惨な事件を起こした加害者であってもとりあえず「いい人でした!」の

「知人」を出しておけば、それを聞く無数の人間の不安をあおることができる。

他人に対する漠然とした疑惑を常に一般大衆に抱かせておく方が

「モノ」が売れる素地を作りやすいのかと思ったり。

現実社会で加害者になる人間の傍にいた人たちは

案外「いつかやると思ってました」と考えている方が多いんじゃないか、

でもそれを口に出すほど馬鹿な「知人」になりたくないのがほとんどだと

思うのでした。

全国ニュースになるような暴力を妻にふるったかつての同級生は

同級生たちには異常な凶暴性を時々見せるので敬遠されがちで

事件を起こしたとき「我こそは知人!」と言えるほど、

彼をよく知っている人間は誰もいなかった。

ひょっとして「よい人でした!」と語る「知人のプロ」がいるのかもしれないな。

下に恐ろしきはマスコミの世界、、、おわり。