読書メモ。

まだ「マーガレット・サッチャー 政治を変えた「鉄の女」」を読んでいて

英国の石炭関連の労働争議はほぼ国の「業病」だったか、の考察はさておき、

ふとこれは英国に限らず、欧米人というものは儲けの出る事柄が発生したら

それを上手に長く使い続けることをせずとことん絞りつくす強欲な傾向にあるか、

「メンテナンス」の概念はないのか、

帝国主義にしろ、対象とするものを肉ばかりか骨の髄までしゃぶりつくす、

それの肉が元に戻るまで少し待つとか、育てるとか、その考えがないような気がする。

日本も最近はその傾向が強くなってきたがアジアの歴史を振り返れば

意外に安定のためには譲歩する、待つ、を政治はそこそこしてきているような、

階層意識か人種差別から寄生する先が命尽きるまでむさぼりつくす、

それを当たり前と考えられるのは人道主義の概念が根本的にないのか、

金の卵を産むガチョウを絞め殺すようなことを平気でやってきた感が

欧米の政治の歴史にはあるような気がするんだが、どうなのか。

エネルギーをたゆまず使い続けられるように

そのメンテナンスの学問が日本には現在生まれつつあるようで

その筋の専門家は海外のあちらこちらの裁判に招聘されることもあるそうだ。

要するにメンテナンスができていないがために事故が起こり、

その原因追及を科学的にできる学問が欧米にはまだないらしい。

確かに日本は新しいものを生み出す力は弱いとされるが、必要不可欠とされる

安全保持の学問が日本で生まれているのはかなり世界的に重要なことではないか、

こういうものは世間に一般化されない、必要であるにもかかわらず。

安全保持などは儲け第一主義のいまだ帝国主義が絶対制度としてはびこる欧米には

出ない発想なんだろう。

工学部修士卒の娘は原子力エネルギーに対して世間一般とは違う考え方を持って

なぜかといえば、人類はまだやけどの克服はできていないが火を使って発展してきた。

放射能の影響は研究が進むと同時にいつか解決策もできる可能性がある、

原子力は日本のような弱小国が手放すには惜しいエネルギー技術だと、

日本の原子力研究は世界でも随一であるにもかかわらず、むやみに排斥される、

確かに被爆国ではあるものの、それを乗り越える技術の発展のために原子力

保持するべき技術ではないか、安全性に関して日本は世界的にもまれなほど

高い技術を持つというのに、なぜか「GAFAがぁ~」云々と

一社はともかく単なるサービス事業を異様に持ち上げる、

欧米は中身はともかく広告が異様にうまいんだろう。

やりっぱなし、壊しっぱなしの欧米の考え方とアジア、特に日本の

保持、保全、の技術力はもう少し正当に評価されても良いんじゃないか、

と、なぜかサッチャー評伝を読みつつ思いつくおばはんの年末であった。

日本は欧米の真似をすると大体失敗するので、気を付けていただきたいものだ。

おわり。