ぶつぶつ。

「理系の博士課程にお金がなくて進学できない!」なんて人間は

実は日本の理系学生の割合で言えばかなり少ないんじゃないか、説をひっそり。

旧帝大の理系には山のようにやんごとなきお育ちの方がいらっしゃって、

そもそもそういうやんごとなき育ちでなければ大学に入れない。

たまに下層民からびっくりするような才能のある人間が現れても

さっさと就職するので研究の下働きがさせられない。

それを愚痴りたいってことなんですかね?

工学系の研究室には企業から派遣されて博士課程に来ている人間が多数で

企業が金を出して会社に必要な研究をさせている。それだけでは足りないですか。

子供の数が減っているんだから博士課程に進む人間も少なくなるでしょうよ。

この手の話ではすぐ「欧米ではぁ」が出てくるが、

近年、欧米でベストセラーになったフランスのバンドデシネ「博論日記」を読めば

どこも結局似たり寄ったりの状況だがわかるんじゃないか、

まあ、これは文系の博士課程の話ではあるが。

よほどの覚悟がなければ進んではいけない道があって、

学問の道も同じだとどうも「もの書く」世界は認めたがらない。

「野球が好きだから一生野球で食べていく!」なんてのは

ごく限られた人間しかできない道で、学問の世界でも同じ、を

認めようとしない人間はどんな浮世離れした生活を送ってきたか、

むしろ、それをこの世間知らずの専業主婦に教えてくれ、

私は相当恵まれた(下層民の割に)専業主婦であるが、

そんな私でも才能だけで渡っていく世界は甘くない、はわかる。

勉強ができる!は「スポーツができる!」より汎用性の高い能力ではあるが、

それだけに「勉強だけして一生食べていきたい!」は無理筋で

できる人はやはりごく少数、そのことを認識したうえで

「日本の研究者はこんなにかわいそう!」に持っていく流れはやめないか。

博士課程から企業に入ってそれなりの優遇措置を受ける層は今でも存在して

そういう人間は大変出来が良い。

野球の世界で言えば大谷君ぐらいのポテンシャルがある。

確かに大谷君ほど若いうちは稼げないが、

大谷君よりはるか長くキャリアを積めるのは確実なので、

「勉強だけで食べていく!」道をさほどの能力もなく

ずるずる大学にだけとどまり続けた人間に与えてやる必要はないんじゃないか、

こんな阿呆な私立大学に、博士課程、必要?ってのを淘汰したほうが

世のため人のため、と私は思うのでした。

「こんなに野球を長く頑張ったのに!」でプロ選手になれるわけではない、

でも「こんなに勉強したから!」で大学の先生になれると思うのは

頭の中身は相当お粗末、自分に見切りをつけるのも能力の一つ。

それができない人間がこの界隈には多いよう。あほか。おわり。