日常。

 

香港での騒ぎが大きくなっていて、

いつも思うのは、この参加者のどの程度が一般庶民であるか、

革命は食い詰めた貧乏人しか起こすことが出来ない。

失うものがない人間しか、無茶は出来ないのだよな。

それを天安門事件のときも思った。

その当時私は大学を卒業するかしないかだったが。

天安門事件の内部事情に「天安門ベビー」の言葉があるらしく

天安門事件のさなかに活動学生との間に出来た赤ん坊が

事件の1年後に捨てられていたとかで、はて、それは本当かどうか、

ありそうなことだろうなあ、と私はおもう。

昨日は日本の学生運動華やかなときに運動に参加した女子学生が

性的虐待を受けていた事実がホットエントリに入っていたが、

そういうものが確実にどの時代にも起こりうることを思うと、

私はこの手の活動を手放しに賞賛することはまずない。

弾圧側ももちろんだが、騒乱を起こす側にも何か胡散臭さを覚える。

どちらかが絶対正義でどちらかが悪は現実社会では存在しえないことをいつも思う。

今の香港騒乱はどうなっていくのか、

やっているのは恵まれた家庭の大学生で

弾圧の手となる警察側が貧しい家庭出身だったりすると、

何がなんだかわからなくなるよな。

大声で「われこそが正義!」と言う人間のどちら側にも加担したくない、

その選択肢が示されたことはいまだかつてない現実は

結局、覇者となりたい側は同じ顔をしていると言うことか。

私たちはどちら側でも煽る側の情報しか知ることが出来ない、

この不幸はたぶん終わることがない。