日常。

先週から体調を崩してテレビとネットにお守りをしてもらっている。
先日、NHK安田顕が出ていたので「ツタンカーメン」番組を見て、そういえば山岸涼子ツタンカーメン発掘の漫画を描いていたな、
途中で連載が途絶えて、その後タイトルを変えて別の出版社から出た本を
当然であるがオタク・マイダーリンの書庫から引っ張り出し、ほう、面白いな、
そういえばこの人の聖徳太子の話ってどんな話だっけ、と読んだところ、おや、こんな話でしたかー!
これは「古代男女7人物語(既にたとえも古い)」、と言うか、私の感覚では「古代・ハチクロ」みたいな、
こんなに身内で延々とほれたはれた、をやってる話であったか、と改めて驚いた。
実は、私はこの話は高校時代に買っていた漫画雑誌「ララ」(だったと思う)で読んだっきり、全巻を読んだことがない。
漠然とどうなったかぐらいは知っていたものの、読もうと意識したのが初めてだったので、
このたび最初から最後まで読みきって、なんと蘇我蝦夷が「うざい」ことよ、と驚いた。
歴史的解釈からみると、聖徳太子蘇我蝦夷の関係は納得できる面白い結びつきに思われるものの、
物語としてみたとき、本来は「ヒーロー」役であるはずの蝦夷の出来なさっぷりは激怒ものだ。
私はひげ面で不細工に描かれている蘇我馬子のほうが「いい男」に見えて仕方がなかった。
元々、私は優男に興味がないしな。
もう、ありとあらゆる展開が蝦夷のお間抜けっぷりで生じる、私は何度も「馬子、この馬鹿息子を廃嫡しろ!」と思ったわ、
いやー、当時の高校生はこの情けない男をどう思ったんでしょうかね、私の記憶にはないのよ、
たぶん、別の漫画家のほうが好きだった。(そしてその漫画家の名前が今出てこない)
特に感想もなかったような、しかし30年以上たって、おばはんの目でみると、このだめ男ぶりばかりにいらだって
「ステキ!蝦夷様!!」とはならない、(まあ、昔もならなかったか)
「この大馬鹿もんがぁー!」とダメだし部分ばかりが目に付いて、驚いたのだった。
いや、もう、めっちゃいらいらする、この何も出来ないダメ男、と、
厩戸皇子聖徳太子)の「出来る!」っぷりは面白く、しかしその実母との関係がかなり現代的に描かれているのが、感慨深い。
最近、萩尾 望都先生(と、マイダーリンはおっしゃる)のご家族との関係への複雑な心境をネットで読んで、
この年代に特有なのか、山岸涼子さん(といまさらつける)もお母様と何かあるのかしら、とかんぐってしまった。
「母親に疎まれる才気あふれた子供」とは、物語に必須なものなのかもしれないな。
しかし、確かに厩戸皇子の母ちゃんはひどいわー、ないわー、とも思ったのでした。
大昔の漫画を引っ張り出して読むのはなかなか面白い。年をとると解釈が大分変わるものよ。