ほんのめも。「風刺画で読む18世紀イギリス」

副題は「ホガースとその時代」 小林章夫・斎藤貴子 朝日新聞出版。
世間が「○える生き方」だの村上春樹新作だので騒ぐさなか、これを買って読む人が日本で100人以上いるんだろうか、な本を。
著者の学生以外買わなさそうな気がする本がなぜうちにあるか、というと、ダーリンが買ったので。そして読まずに寝かせてあるのを私が読んだ。
私の場合、英米文学をやったのでホガースに興味はそこそこあるが、なぜ専門外をダーリンが、と尋ねると
「漫画の素になるんじゃないか、と思って」とのことで、確かに。
読んでいるとホガースの描く思想はジョー・サッコの「パレスチナ」で初めて知った「コミック・ジャーナリズム」の源流になるような気がした。
ホガースは、ちゃんとした画家だが、実は私はその油彩を見るまでずっと挿絵画家だと思っていた。それも「ディケンズ」の。
時代が全然違うやんけ、と本を読んで初めて知る、自分の知らなさっぷり、いやー、ディケンズよりはるかに昔の人だったのね、
でもなぜ、私がホガースを挿絵画家と思ったかというと、彼の流れを汲むクルックシャンクが初期のディケンズ作品の挿絵を手がけていたので。
この手の細密な絵はよほど気をつけて眺めない限り、作風の違いなんてわからないものよ、、
なんとなくこちゃこちゃした絵だな、でスルー、今回初めて見比べて、あら、よく見ると違うもんだわ、と。
で、この本の中では、いかにホガースが英国で初めての優れた国産画家であったかを強調している。
日本は何故か英国の絵画事情に疎い人が多くて英国といえばターナーしかいない、的なことを平気で言う人もいるんだけれど、
ロセッティとか、ジョン・エヴァレット・ミレーとか、ちょっと大きな美術館に行けばすぐわかるものを、なんちゃって、
私も行くまでは知らなかったことを棚に上げて書きますことよ。
そしてそのラファエル前派の精神的先祖がホガースだと、
ホガースこそが純国産の英国絵画を、意識を持って目指した初めての人ではなかったか、が語られている。
とはいうものの、後期の画風はロココをちょっと意識して書いてもいる、などと、こういう点が実務家的英国人気質であるなあ、
結局「売れ」なければ、絵に意味はない、をよく知っていた、ホガースの人生はディケンズと同じく「叩き上げ」で、
親が債務者監獄に入っていたり(ディケンズも同じ)、徒弟時代から才を働かせて登りつめていったり、そのせいで、いわゆる「美術家」からは死後、軽くあしらわれたり、と
本当に英国って階層社会で嫌な感じね(涙)、成り上がりものに厳しい。
しかし成り上がりものであるからこそ、社会改善の啓蒙活動を絵画を通じて熱心に行おうとしたところが素晴らしい、
ホガースの時代、(そのあとも、実は)イタリア絵画こそが思考の美術と考えられていて、それに対する反発がホガースの作風を育てていく、
これは「叩き上げ」でなければできないことだ。
そしてホガースがもっと今の美術形に評価されるべきは「著作権」を初めて意識して法律化した最初の画家であるということ、
「アン女王は死んだ」(「それはもう古い」の意)の言葉しか残さなかったと思われる、なんにもしていないで有名なアン女王の時代に
版画の著作権を認めさせた、この人がいなければ、もっと損した人はたくさんいるんで、ホガースに感謝をしてせめてどんなことをした人か
知っておきましょうね、、、とちょっと1冊読んだだけですっかり洗脳されたオバハンなのであった。
長くなったので、続きはまた明日。
追記。
と、偉そうに書いておきながら、私は「アン女王法」と「ホガース法」をごっちゃにしておりました。
言い訳は次回。