で、続き。

ディケンズの最高傑作と私が考えている「リトル・ドリット」の中に「タティコーラム」と名付けられた侍女がいて
その侍女の出身がホガースが描いた「トーマス・コーラム」の設立した孤児院という、
あらまー、こんなところでディケンズつながりの人物が出てくるとは。
というか、ディケンズの時代に既に「伝説」の人の肖像画と、その孤児院に飾る絵を書いたのがホガース、という、
ディケンズはホガースをどう考えていたのか。少なくとも共通点の多いこの偉人たちは「イタリア嫌い」で一致している気がした。
ディケンズにあからさまなイタリア嫌いは出てこないものの、なんとなく「外国人」、それも「ラテン」系は信用できない、とでもいうような、
ホガースの場合、当時の画壇を圧倒支配していた「イタリア派」を敵視するのは必要なことだったが。
100年経ったディケンズの時代でも、英国の両家の子女は「イタリア」で教育の仕上げをするという、
故に債務者監獄から本人たちの努力のためではなく偶然に富豪となった「ドリット一家」は一族でイタリアに旅立つ、
これは愛国者の反対である、恩知らず的なニュアンスもディケンズにはあったんじゃないか、などと適当なことを思いついたのでした。
「ホガースとその時代」を読んで思ったのは、ホガースのような立志伝中の人間は愛国心に目覚めがちなような、
で、「権利」の獲得や社会貢献、啓蒙活動に芸術も関わるべきだ、の大変立派な思想を持ち、行動する、
「芸術」を通じて啓蒙をはかるというのはのちのディケンズ
「社会派」であるという意識はファビアン協会設立とか、マルクス資本論がロンドンで書かれるとか、
そういう英国独自の社会現象につながるような、「芸術」をよりよい社会の実現に役立てよう、の意識は
「自然回帰」的なイタリアンな個人主義とは相容れないような、不道徳であろうがなんであろうが、これが「人間だー!」もまた「芸術」だものなあ、
ふと、先日からどこかで引っかかる森美術館問題を考えたのでした。
で、今はなぜかダーリンから宿題として「股間若衆 男の裸は芸術か」(木下直之著 新潮社)を読まされている。
まあ、面白いんですが、私は何を啓蒙されようとしているのでしょうか。
多分、この本も私独自の大恥感想が書かれる予定。
「ホガース」の本は面白かったものの、ひとつ、問題に思ったのは著者の年齢が女性の方はわからないこと、
男性は「1949年生まれ」と書かれているものの、もうひとりにはない。これって、どうよ?といつも思う。
男女共著の場合、男性の生年月日は書かれていても、女性の場合はないことが多い。ジェンダー的に問題じゃないですかね?
私は両者は同格の研究者なのか、それをうっすら知るためだけにも書いておいて欲しいといつも思う。
こんなところで女性が年齢にサバ読んで何がいいんですかね?
ということでした。終わり。
4月は頑張ってよく書いたわぁ、明日からはお休み。ぼちぼち書くざんす。