雑談。

下のお嬢は年単位で顔を合わせる帰国子女の同級生(とっくに下級生だが)のほかに、ちょっと変わったお友達が時々いて話を聞くと驚くことがある。
大学に入学して部活関係で知り合った別学部のお友達(女の子)が「母親に虐待されている!」的エピソードをよく話す子で
「家族がばらばら」「お母さんは私のことを憎んでいる」云々と、お嬢はすっかり感心(?)したように話すので
おやまあ、と聞いていたのだけれど、年末、帰ってきたときに話してくれたことには、
その子が怪我をして入院することになったので、家族がばらばらならさぞかし大変だろう、とお見舞いに行ったところ、
「お母さんはいつも私にひどい!」はずの母親が、仕事を休んで数日娘についていたそうで、
会ったところ、普通に感じの良いお母さんだったと、
病室に入る前に「お母さん、○○買ってきてっていったじゃない!」なんて甘えた声が聞こえてきて
「あれ?仲が悪かったんじゃ、、」と思ったそう。
「よくよく考えてみれば、家族全員で海外旅行行ったり、振袖を買ってもらってたり、うちはそんなことしてないから、なんだったら、私のほうが「かわいそう!」かも」
などとぼやいていた。
「話を聞いたときは、「これが今はやりのいわゆる「毒親」なのか」と思ってたけど、、」とぶつぶつ言うので、
まあ、人の「感じ方」は違うからねえ、といっておいた。
それにしてもうちの娘はこの手の面白い(?)話をする人間に弱い。
周囲はとっくに話を半分以下くらいに聞いているだろうが、娘は作り話をする素養がまるでないのであっさりだまされ(?)る。
たぶん、「気分」で話を「盛る」くせのある人間の見分けがつかないんじゃないか、
私は状況を見た限り、かなり話は割り引いて聞いていたので、そんなもんじゃないかな。
娘の部活が大会に参加するとき、時々、親が差し入れがてら見物にやってくる。
そのお友達のご両親は忙しい仕事をしているので、一度も来た事がないらしい。
私も様子を見に行くことがあるので、「母親に虐待されている!」らしき話を激しくするのは、私が顔を出した後だったりして、
親が来てくれないことがさびしくて仕方がないんじゃないか、と推察している。
恐ろしく負けず嫌いな子のように思うエピソードを娘から時々聞くので、
いわば「親のインフラ」部分で「負けている」部分が許しがたいんじゃないか。
「負けず嫌い」であるが故に負の感情「うらやましい」を自分が持つことを受け入れがたい、
「うらやましい」を「私かわいそう!」に入れ替える気がする。
「かわいそうな私」を演出するためには「家族」関係を持ち出すのがもっとも有効。
それを真に受けるうちの娘のような気のいい人間がいるから、つい話を盛るんだろう。
実は話しているほど、家族関係が悪くない場面を見られたせいか、若干、お友達が気まずく思っているような、
なんとも若い女の子は難しいなあ、という気がしている。
親元を離れることで不安定になった精神がそうさせるのだろうが、ネタに使われる家族は気の毒な、
まあ、それも含めて「家族」というものなんだろう。
娘はそういう「くせ」を持っていても「お友達」と思っているようなので、よかったかな。
しかし、うちののんきな娘が「毒親」なんてことばを知っているとは思ってなかったな、流行ってるのかね。
ネットだけでよく見るスラングかと思っていた。
若者文化ははかりがたし!と考えるのでした。終わり。