雑談。

センター試験も二日目、
わが子たちが受けたときは、旧帝大系は文系でも受験科目が多いし理系は特に遅い時間まで拘束されて大変だったものよ。
ネットでは「センター試験なんて」と小ばかにする自称高学歴者も存在するようだが、受けてもいない試験に上から目線でものを言うって、
君が出た大学は何を教えてくれたかね?自分を「賢そう」に見せる技術力だけかね?それは知性ではないね、大学名は隠してくれたまえよ、
とこちらも上から目線で言い返したくなる。
多くの教科を同時進行で学ぶ努力をしてきた人間を、センター試験すら受けずに大学進学した人間が馬鹿にできる根拠はないはずだ。
私立大学の弱さは、少ない教科しか学んでこなかった狭量さであるのだろう。
私がネットで見かけてしみじみ「馬鹿」と思ったのが、「センター試験詰め込み教育だ!」なんて書く奴で
年寄りの私世代が最後だった共通1次から受験がどう変わったか知らないらしい、とあきれた。
センター試験は「詰め込み暗記」だけでは解けないようによく練られた問題で、
私は子供とともに解いてみたが、歴史すら、年号を覚えている程度では出来なかった。
ムラなく教養が問われて、決して否定的に捉える問題ではないのだが、それをちゃんと言う人は誰かいないのか。
評価できる試験が受けられることはその後の人生にも意味があるように私はおもう。
試験に関しては、この寒い時期がなおのことつらい気はするが、受けた娘たちによると
「春先だと眠くなるかもしれないし、寒い中で「がんばった!」は一生のこるから」と、季節には好意的だ。
二人とも、一度として「受けなくてもよかった」とは思っていない。
一生で一度だけ、本当に大変な思いをするのはよい経験だと、
雪の舞う中を指をかじかませながら試験に向かう、あのひたむきさの中に身をおくのは、
大学教育を受けるものとして当然の「試練」と考えているようだ。
その「試練」は経なかった人間からみれば「たいしたことないじゃん」だろうが、その重さが理解できないのは、私には永遠の不幸に思われる。
考えてみれば、大学入試を軽く見る人間は大学の勉強も軽くみて
「大学ではバイトばっかりして勉強しなかったけど、単位はとった!」と自分が優秀なように吹聴する傾向にあるが
実際は楽に単位が取れる教科しか選んでなかったりするので、こういう人間にとって勉強は学歴と同じく「ファッション」でしかないようだ。
ラク単」と呼ばれる単位は人気があるので、抽選に落ちた場合に時間割の組直しが面倒らしく、
うちの娘たちは先生が厳しいので不人気な講義ばかりを取っている。「人が来ないところ」は狙い目のようだ。
勉強することを恐れないは人生への大きな贈り物に思う。
センター試験の出来はともかくとして、今の大学受験の複雑さは子供だけでは把握できないので
次に実施される試験がもう少し子供に負担の少ないものであって欲しいと願う。
それでも、「学ぶべきは学ぶ」の姿勢は受け継いでもらいたいものだ。