雑談。

先日、公開前から何故か話題になっている「ゴーストバスターズ」を見てきたので、以前話題になっていた町山さん解説を読んだ。
なるほど、リメイクがどうの以前の問題で揉めていたんだな、映画の内容自体は前作へのリスペクトも含めてよい出来だったけど。
「差別云々」の話を聞いていたので、「マイティ・ソー」の俳優さんがキュート過ぎるおもちゃイケメンを演じたのが批判対象かと思ってしまった。
もうそれ以前と言うか、それ以上と言うか、根本的な面で全否定なんだな、考えることをあきらめた、ってことか。
ただ、私は英国の「EU離脱」のときにしても、感じたのが「考えてもどうにもならない場所に弱い人を追い詰めてきた」だったりする。
そこそこ真面目な人間であっても、報われない人は多くいる。
そういう人を馬鹿にして自分の成功をひけらかす馬鹿がすぐそばにいたりして、
その連中が「ファッション」としてある種の「きれいごと」を支持したら、キレるわな。
私が英国在住の日本人だけを見ていた限り、「EU離脱反対」派は移民からの直接被害を受けない人ばかりだった。
と言うか、EUを離脱しようがしまいが、特に生活に変わりがない。
どこに行ってもどこででもそこそこ「恵まれた」生活が保障されている人たちは「世界平和」を掲げてきれいごとが言える。
でもそうじゃない人のほうが実際は多い、と言う現実を今、世界は突きつけられている。
「馬鹿な人たち!」と「恵まれた」人たちからあざけられるのにもなれてしまった人たちが暴走している。
追い詰められた側の心情をどこまではかってどう結論をだすか、「馬鹿な奴ら」と一掃するのは、もの考える人間として恥ずかしくはないか。
難しいのが、先日の相模原の事件の結論で、彼をとんでもない奴だと裁いて死刑にすると、結局は彼のした「排除」と同じことになる。
といって、彼を「障害のある人」として放置すると、おそらく同じことを繰り返す、彼が病んだ人間であるのは明白だ。
根本的に「欠けた」人間とどのように世界は、社会は「付き合う」のか、この結論は、私が生きている間に出るんだろうか?
出る、と信じたい。人間のかすかな進歩を見たい、と望む。
自分たちの好む「困った人」だけを助ける世界は間違ってるよなあ。