雑談。

昨日、朝日新聞の「子供の貧困」特集が注目されて、高校の進路指導不足の指摘が私が考えたほどなかったことが気になった。
二人の子供を公立校で育てて感じたのは、昔ほど、教師が踏み込んで指導してくれることがほとんどなくなっていること、
その分、子供の進路には親が深く関わらなければいけない、その責任の重さは生半可ではない。
ネットでは叩かれたが、東大3人母親は人間として、状況判断の出来るかなり優秀な人間であるのを見逃している現実は残念な限りだ。
朝日新聞記事の女性の親が、もし自分のやっていることを上手にネットにつづればこちらのほうがむしろ賞賛されるかもしれない可能性にはぞっとする、
「子供の可能性を信じて、好きにさせました!」と書けば「わかってる親!」とされかねないのだよね、、、本当は「放置子」なのに。
私が気になったのは、彼女の状況を鑑みて、まず親から離れるための収入を得られる道を示すことを高校の担任がやったのかどうか、
もうこの世界は「短大卒」がそれほどの威力があるわけではない、記事の女性は「大手に就職できるかも」と考えたようだが、
いまや、手の届く大手もかつては「短大卒」で十分だった職種にも4大卒の、それも総合職で採用もおかしくない学歴の女性を採る時代だ、
その現実をおそらくは高校教師はほとんど知らない、この現実との落差に私は時々絶望する、公立進学校の教師の認識の甘さにはほとほと泣かされるものがある。
彼らは本当に「外の世界」を知らない、私の子供たちの担任は二人とも地元の教育大付属育ちで、国立大学の2次試験を経ずに地元教育大学に入学している、
情けなくも親類一円すべて教員、という、地方にありがちな「教員」が「家業」であるという、それが絶対悪いとは思わないが、
社会経験のなさ、世間の狭さは、もう日本的「芸術」ではないか、とさえ思うくらいだ、
彼らは教員一族の教員と結婚し、人生の目標は自分と同じく教育大付属に子供を入学させ、同じように教員を養成することであったりする、
まあ「伝統芸」と思えば腹も立たないが。
故に、地方を出て旧帝大の2次試験に挑むことがどういうことかまったくわからない、してくれることは「やれば出来る!」というだけだったりして。
いかん、グチになって、朝日新聞記事の女性の話にまでたどり着けなかった。
要は、彼女にとって「風俗」のハードルが異様に低かったのは離婚して以来次々男を引き込む母親との環境のせいではなかったか、
そこから離れるのは大学進学より、まず経済力をつけること、それには高卒でとりあえず公務員試験、というのが一番良い選択肢なのだよなあ。
特に国家公務員試験であれば、職種によっては給与をもらいながら資格を取る指導を受ける場合もある、
その選択肢を示す教師が少なくなっている現実をどの程度まで世間は知っているか。知らせるべき情報が一番必要とされる人間に届いていないことを残念に思う。
就職した後、ある程度お金を貯めてから進学、という道も高校の進路指導でやって欲しいものなのだけれどなあ。