読書メモ。

話題の東村アキコさんの「タラレバ娘」の3巻を読んで、やはり50前のおばはんに語りかけるものはないなあ、と。
帰省中の絶賛女子大生・19歳の娘にも感想を聞いても「30歳のお姉さんたちは大変なんだねえ」と、特に思い入れはない。
この話は「幸せな結婚!」がメインにあるんだろうが、出てきている人で幸せな結婚をしてそうな人が見当たらないんだよな、
不倫相手の奥さんなんて気の毒なことこの上ない、「二人目」妊娠中に旦那がふわふわしているんだもの、つまみ出せよ、こんな男、みたいな。
幸せになれそうな恋愛も存在しなければ、幸せな結婚も存在しない世界で、足掻くアラサー女の悲哀、と言われても
主人公の3人組のような性格の人は、結婚してもそれほど変わらない、彼女たちには「結婚」だけが足りないわけではないのだよね。
相変わらずの「東村ワールド」以上の感想しかなくてよくわからなかったけれど、意外に「おまけ」マンガが私には示唆的であった。
東村さんが「タラレバ娘」に言いたいことは「カッコつけるな!」なんだろう。
「いつまでも「カッコ」ばっかり追いかけてるから、幸せがわかんないんだよ!」ってな、「女同士でおしゃれな店に行くな!」ってそういうことかも。
しかし、今や雑誌だけじゃなく、ネットでも「これがあって幸せなワタシ」が発信されてるものね、
まだ「雑誌」も、その上にネットも見るアラサー世代が迷うのは仕方がないわ。
情報が溢れすぎて幸せが見えなくなる、でも「見えてる」と思わされるものが「本当」ではないのよね。
例えば「結婚してこんなに幸せ!」「私ってこんなに愛されてる!」とかしょっちゅうネットで発信する人が幸せな結婚しているかどうか、
特に新婚で、わざわざ「幸せ!」発信している人は、どうかな?「幸せ」なのは人に知らせたいほど「特別」ではない、
むしろ「結婚して喧嘩しかしてない」と発信する人の方が本質的には「幸せ」なのよ、結婚したばかりのカップルは喧嘩するのが「当たり前」、
それを外に言えない人は不満がもらせるほど、結婚相手を信用していない、そしてそれをすぐ相談できる信用する人間も周囲にいないということ、
それでも「私って結婚してこんなに幸せ!」と発信する人の心の闇は深刻よ、、
「タラレバ」思考の人が結婚したら、結婚したで、「喧嘩した!」すら言えずにカッコつけて「結婚して幸せ!」とか言いそうなのだよね、
一番、言わなければいけないことを言えずにいるのは「幸せ」ではないだろうな。
さて、うちのふたりの娘達が「タラレバ娘」になる可能性を考えてみたが、
少なくとも、二人とも「おしゃれ」というだけでさほど美味しくない食事をする人間ではないのだよな。
つまり「この男といたら「幸せそうに見える」から」で男を選ぶ人間ではない。その点では東村さんに「合格!」と言ってもらえそう。
ちなみに私自身は「オシャレなお店には男といかない」哲学を持っているので、「おしゃれな店に男を連れて行くのはもったいない」哲学を持つ人と行く。
おしゃれな店なんて、男と行って楽しいものではないのよ、この点で東村さんと私の考え方は違う。
東村さんにはまだ「オシャレなお店に男と行くおしゃれに見られる私、、」という価値観をほんのり持っているよう、
だから「タラレバ」の気持ちが分かるのか。
なんにせよ、私にこの手のマンガを理解する素養にかけていることはよくわかった。次に読むとしたら完結してからだな。