「捨てられない世代」を思う。

昨日から朝日新聞で「戦争孤児」の談話が載っていて、涙。どの戦争でも結局、一番被害を被るのは立場の弱い人間、つまり、子供。
戦火で親を亡くすものが出るのは当然だと思うが、その対応をしていなかったのね、と改めて。
ま、今だって子供対応のことなんかさほども進んでいないんだもの、つくづく、権力者は身勝手。
安保法案を通すよりも保育所拡充とか、もう一律に子供は保育所で「教育」するとか、
私の子供が小さかった時は保育所はまだ厚労省管轄で幼稚園は文科省だったが今はどうなったのかな?
それはともかく私の親世代で「捨てられない」人が多いのは、身近で人間が「使い捨て」にされるのを見たからかもしれないな、
以前どこかで、これは日本の戦争ではなかったかもしれないが、もともと戦争で負傷者を救済する措置は権力者は全く考えていなかったと読んだことがあって、
なるほど、戦争の最前線に出るものなど、壊れたら捨てる位の意識だったんだろう、と妙に納得した。
流石に今はマシになっただろうが、それでも権力者にとって本音としては、兵卒など「壊れたら死ね」だろうな、
「死んでお国のために!」って、良く出来てる構造だわ、戦えなくなったら、働けなくなったら、コストがかかるから死ね、とは、なんて経済的な!
てな悪趣味な冗談はさておき、いつ、自分も使い捨てされるかわからない世界の雰囲気が未だ刷り込まれてモノが捨てられないような、
それよりは戦時下の耐乏生活が忘れられなくて捨てられない!が近いか。
気持ちとしてはわかるような、ずっと「(モノが)いきなりなくなる!」の不安をかかえて生きてきた人に「捨てろ!」は無理だろうな。
てなわけで双方の実家を放置する私は正しいのかどうか。
戦争の傷跡は年を取っても深いのよね、、(涙)