俳優二人。

昨日はNHK高倉健映画「単騎、千里を走る」の撮影ドキュメントを放映して、先日その映画を見たばかりだったのでぼんやりと見た。
やはり中国は綺麗だなあ、雄大だなあ、その自然に一人で対峙できる俳優は高倉健しかいなかったかもしれないなあ、愛されていたのね、健さん、と涙。
中国人スタッフにも、NHK職員にも敬愛されていることがほのぼのと立ち上る映像は美しかった。改めて合掌。
年末に昭和を代表する俳優二人、高倉健菅原文太が相次いで亡くなって追悼の古い映画を拾い見ている。
見ていると、今のほぼ同世代の人間と「顔」が違うのね、当時の彼らは今の私よりはるかに年下であったにも関わらず、どこか年を取っている。
大人になるのが早かった、感じ。
で、意外に文太様ったら「イケメン」だったのね、沢田研二主演の「太陽を盗んだ男」では沢田研二よりずっとかっこいい。
スーツ姿が特に魅力的で、こういう「仕事をしている男」のスーツの着こなしは昨今見かけなくなったものよ。
仕事をしている人でも、そのスーツ姿はどこかデパートの店員っぽい、それが今の「かっこよさ」になっちゃってるからねえ。
それはともかく、昨日の番組を見て思ったのは、高倉健はどこまでも「優等生」であっただろうということで、
対して菅原文太は愛すべき「はみ出しもの」で、どちらがどう、ということはないのだけれど、対照的な俳優で、対照的な生き方をした人たちだったのだな。
高倉健の全方位に対して「いい人」だった伝説は多分本物で、彼は生涯を「俳優」という職業を「天職」とし、同時にそれを「聖職」とした、
自分の人生の全てを不特定多数の人間に捧げるために生きた、だから私生活はほぼ存在し得なかった(ような気がする)、
彼は人に囲まれている時でもいつでも「一人」の気配をまとっている。本当に「孤高の俳優」だと思う。
菅原文太はそれに比べると、ひとりでいるときも、どこか雑然と多くの人の気配をまとっている。
基本的に本当に善人ではあるものの、彼の場合、自分が守るべきもの、最優先すべきものである「家族」が常に意識にあって、
そのために周囲と軋轢を抱えることもあったんじゃないか、それでも、それゆえに、「愛された」という気はするな、
実際、私は高倉健の魅力を知っても、やはり菅原文太を心から惜しむ。じいさんになって善人であるがゆえに迷走しても、それをも許そう、と思うほど、愛していたわ。(涙)
昔もいい俳優さんがいたもんだ、と、特に「今はこんなにいい俳優はいなくなった!」と嘆くことのない(実際、同じようにいい俳優さんはいるからね)私は、
また時々、古い映画を見てみるか、と思っているのでした。おしまい。