ネット雑記。

ネットで「フレンチでソースをパンで拭うのは日本のローカルマナー?」というものを見かけて、
「マナー」とまでは習っていないなあ、「してもいい」というのは、言われたことがあるような気もする、
こじゃれたフレンチのオーナーシェフがわざわざ「ソースがうまいのでパンで拭って是非!」と言われた記憶もあるので、
それがどこからか「マナーだ!」になったのかも。
私が知る高級フレンチで、はて、ソースを拭うタイミングでパンがあったかどうか、いつの間にか小さなパンがそっと置かれて食べ損ねた覚えも。
高級になればなるほど、出てくるパンは小さめのような、そもそも拭うほどのソースもかかっていない気がするな、
場所にもよるが皿数は多いけれど量はさほどでもない、フレンチにも流行り廃れがあって、最近は和食風に少しで小さく、が流行ってるような、
パンで拭えるほどソースたっぷりめで、いかにも「拭ってください!」とばかりに大きなバケットがついているようなフレンチならばやってもいいんじゃないか
「ソースをパンで拭う」は場所と場合によってしてもいいんじゃないか、とおばはんは思うのでした。
でも日本の一部では「マナー」化されていると知らなかったなあ、「してもいい」は「マナー」ではないよね、どこで変換したのか、それを調べるのも面白いかも。
発言小町は「白米になにかかけて食べるのはマナー違反か」にまで発展していて、これは「家ではやってもいいけれど店ではしない」が正解じゃないかな、
御茶漬とか卵がけご飯とかふりかけとか、基本的にはちゃんとした和食の店では出ないものね、
でも最近は、コースにだしをかけるタイプのご飯が出る場合もあるし、わざわざ「これをかけて」と佃煮風のふりかけが用意されることも。
以前、名家出身の奥様が「私はふりかけなんてほかにおかずのない貧乏な家が食べるものです!と言われて育ちました」と話してなるほど、と思ったことがある。
「でも主人の家ではバンバンふりかけを使うので、驚きました、私、ふりかけに憧れていたので、結婚してよかったな、と思いました」って、可愛いわぁ。
私も実は「白米になにかをかけて食べるのはお行儀が悪い」と教えられて育ったが、
単に家があまりに貧乏でふりかけさえ買えない事実を上手に言い換えるもんだと子供心に思っていた。
実際、いま大人になった目で振り返っても、父親が異様な浪費家だったので、実家はインスタント食品が滅多に買えなかったのだよね、
私は大学生になって初めて「カップヌードル」を食べたわ、インスタント食品って結局は「割高」なのだよね。
しかし、我が家の貧しさと「買えても買わない」裕福なおうちの生活が似ているのはなんとも不可思議。
話が合う、と思っていたらある地点から歴然と違いに気が付く悲しみにももう慣れたな。
白米には何もかけない、という考え方は神事と関わる節会と関係があるんじゃないのかな、農耕民族である日本人に白米は神聖で「信仰」だもの。
茶事の懐石料理では白米がぽっちり入ってるな、でも簡単な懐石料理にはたまに白米にちょっぴり何かがかかってる場合もあるような、
考えてみると食事にもなにかの意味があるのだなあ、そういうことを考えさせる「良トピ」でした。
発言小町は面白い。発言小町で「オーブンレンジは何を買うべき?」と相談してみようかしら、まだ決まってないわ、、、(涙)