読書メモ。島崎今日子 「安井かずみがいた時代」

島崎今日子のアマゾンで最も評価の高かった1冊を図書館で借りた。
これは評価通りの良本、「安井かずみ」「加藤和彦」を知らなくても十分楽しめる。
タイトルの「安井かずみがいた時代」が秀逸、確かに彼女が生きた「時代」がうすぼんやりと受け取れる。
ほぼ、私が生まれたくらいの「昭和史」で、安井かずみが生きていたら、70代で私の母と同世代、
私の子供たちの「おばあちゃん」たちの青春時代だもの、平成生まれにはもう「歴史」だわ。
55年の短い人生の前半を作詞家として過ごした安井かずみの有名な「歌詞」をタイトルに同じ時代を生きた様々な人に取材しまとめている。
芸能界で有名な人間であったり、安井かずみが個人的に親しくしていた一般の人間であったり、
取材を受けた人々には二つの傾向が私には見られたが、それは後ほど書く事にして、彼らが異口同音に何度も繰り返した
安井かずみは外国人とも堂々と渡り合った」が印象に残った。
皆が誇らしげに、彼女の美点として語るその「日本人でも、外国人に負けなかった!」の言葉には、「敗戦国」に育った人間の影が色濃く付きまとう。
「戦後」がどれほど華やかな世界にあってもぬぐいきれなかったものかと感慨深い。
それを思うと高度経済成長から、バブルへと時代が駆け上がっていく中で、安井かずみと、その夫となった加藤和彦が目指した世界が
どこか虚しく思えてくる。特に「安井かずみ」という人が「けなげ」で、哀れみも催す。
実は、この本を読んでも、安井かずみ加藤和彦がよくわかるわけではない。
一世を風靡したというその夫婦スタイルの是非もつかみ取れるわけでもない。
それでも「面白い」のは、安井かずみやその夫である加藤和彦を、同時代人に語らせることで、
人によって見えているものが全くちがうのに気がつかされるからだ。
取材を受けた人たちは私にとっては2種類あるように思えて、雑に表現すれば「後ろ向き」な人と「前向き」な人で、
「昔は良かった、、」とかつてを懐かしがり、「今の世の中は、、」とため息する、ひたすら「過去」に生きる人と
「かつて」を精算しつつ未来につなげる言葉を残す、「現在」に生きる人と、
どちらが良いとか悪いとかではなく、「今」をどう生きているかが非情なまでに露わにされる気がした。
「過去」を「いま」に結び付けられているかどうか、でこんなにも人の見え方が違うのか?
「過去」に生きる人にとって安井かずみは今も生きているかのように語られる。
「現在」を生きる人にとっては、「過去」は「過去」でしかなく、色あせた記憶は冷静に処理されてしまう。
「死」というものは残酷だ、現在に生きる人はかつてあった「かっこいい生き方」を無意識に総括する、ただ、私はそのほうが気持ちいい。
過去と距離を置く人のほうが正確にその人物像を掴んでいるように思う。
どちら側から見たにしても、安井かずみという人は様々な問題を抱えつつも魅力的な女性であったのだろう。
長くなるので、明日に続く。