美術展・メモ。

この度、初めて東京現代美術館に行って「山口小夜子展」を見てきた。
山口小夜子」とは、存在そのものが「芸術」だったんだなあ。
山口小夜子といえば日本を代表するスーパーモデル(という言葉がない時からそうだった)で
田舎の中学生だった私は「山口小夜子の魅力学」をおこずかいを貯めて買うほどファンだった。
あんな美しい髪型にしてみたい、、と微妙なくせ毛の私は願ったものよ(涙)そしてその本で「美女もこんなに努力する」を学ぶ。
何回も読み返した本を今でも持っている、今回の美術展ではその本で見慣れた写真もあったりして、感慨深かった。美しかったわ。
展示は山口小夜子の私物の展示から始まって、モデル時代のポートレート、服飾専門校学生時代の作品やスケッチ、その他、
知らなかったが、舞台美術にも関わっていたようで独特の美意識は統一感があって潔い。とは言うものの、そこはかとなく「昭和」だったわ。
最も面白く見たのが資生堂のコマーシャルフィルムでそこで立ち止まって見いる人は多かった、私もつい、最後まで見た。
一緒に行った娘曰く「こんなにお金のかかったCM、初めて見た」確かに、今のCMでここまで作りこんだ世界観があるかな?
まさに広告は「現代美術」なのだな、実は「山口小夜子展がなぜ現代美術?」と思っていたけれど。
あの精緻でただ「美」だけを追求した映像をコンピューターグラフィックなしに作っていたんだな、(多少は使ったか?)
コンピューターが普及して、この手の重量感のある映像は少なくなった気がする、デジタル化は時代を変えるな。
東京現代美術館はいまブルーボトルコーヒーで有名な清澄白河にあって、のびのびした、東京都内とは思えない場所だった。
「ここに住んでもいいな」と娘が言い出したが、通勤が面倒そうなので多分、ない。私も好きだけどね、ここの感じ。
展示を見た娘の感想は「私世代にこういう存在はいないな」「大量生産、大量消費の時代だから」などと、
自分が今生きている時代を診断するようになったよう、そして、同じ時間を過ごしながら、見えている「時代」が娘と私とでは違う。
山口小夜子の時代は私にとってはまだ半ば「現代」だが、ハタチそこそこの娘にとっては遠い、遠い「過去の影」、同じものを見ても受け取り方が違う。ま、当然なんだが。
山口小夜子の「声」を展示で初めて聞いた。可愛い声だった、なんとなくハスキーで低い声のように思っていた。
素顔ではどちらかというと日本的な「可愛い」顔の人であったようだが、それを世界的な「beauty」に引き上げるのに、大変な努力をしたのだろう、
早くに亡くなられたのが残念だ、彼女の60代、70代を見てみたかった。合掌。
ところで、大人になった娘と共に美術展に行けるのは幸せだと思った。美は世代をつなぐか。