雑談。

ネットではたかの友梨エステサロンが突き上げられていて、でもテレビではどうやらさっぱり取り上げられていないよう。
多分「スポンサー」なんだろうなあ、、
私は雑誌で何度かたかの友梨の記事を読んで、なんの番組だったか忘れたが、数億円するジュエリーを見せびらかしているのを見て
この人のところで働く人は大変だろうなあ、と思った覚えがある。
こんな「私、こんな高いもの持ってます!」とテレビでやる経営者がまともだったためしはないものね。
先日朝日新聞テレビ欄のコラム「キュー」で島崎今日子氏が蜷川幸雄の対談番組を取り上げて、
蜷川幸雄が今をときめく俳優たちに「俳優は不幸でないといい仕事ができない」との説教をした云々と、
それをまるで素晴らしいことのように島崎氏が書いているのを読んで、ああ、昭和のブラック体質ここに、とうんざりした。
蜷川幸雄と俳優たちの対談を見ていないので、どういう流れでそういう話になったのか、私にはわからないので、蜷川氏を責める気はない。
それよりはその言葉だけを妙に賞賛気味に書く島崎氏の体質、
出産を控えた新妻を持つ俳優に向けて放たれた「不幸でなければ仕事はできない!」がまるで「いい言葉」だと
なんと島崎今日子は「オヤジ」なのか、「家庭を犠牲にしないといい仕事はできない!」とブラック体質の経営者がいいそうな言葉だとは気がつかない、
こういう「オヤジおばちゃん(おばあちゃん?)」が一番困るよな、としみじみ。
「芸術とはそういうものだー!」と、また「芸術無罪」になるのかな?そのあたりのことは私にはわからない。
でも「不幸でなければいいものは作れない」なんてのは眉唾だという気はするな、本当に仕事ができる人間は家庭生活も円満だしね。
俳優を「職業」として選んだ人が、常に「不幸」という異常な状況にいないといい仕事ができない、というのなら、
その演技は「瞬間芸」の連続でしかないように思う。精神に異常をきたしそうな人間の行動を私たちは見世物として消費することになる。
そういうのって多分すぐ「飽きる」よね。
ま、俳優の私生活がどうであろうがどうでもいいんだが、要は島崎氏のようなど昭和ど根性入ってますオヤジギャルの成れの果てが
ブラック企業」体質の精神を体現しているようで、朝日新聞は今でもこういうコラムをちらほら書かせるんだな、
女性が当たり前に働く時代では「家庭を犠牲にして仕事を!」なんてのはもう「古い!」と女性コラムニストにはやってほしかった、
でも島崎今日子さんでは無理か、この人は他人の「不幸」を妙に好む性癖があるようだから。女性週刊誌のレベルだよね。
演じるのも働く仕事、何かを犠牲にしなければ仕事はできない、の「信仰」をどうにかしないといけない時期ではないのかな。