日常。

柳下毅一郎氏の「皆殺し映画通信・地獄旅」を読んでいる。
現在半分ほど読んで、柳下先生の修行振りには頭が下がる。
どれほどの地獄が待ち受けていようと「うけてたつ!」とただひたすらにその冥府魔道を走っているのだから、
中村うさぎ先生の「女の欲望地獄旅」を見ているようだ、もう生きて帰ろう、昇天しよう、などとへたれたことは書いてない、
「ともにどこの奈落へでも」とは、「映画」を心から愛する人間にしか出来ないことではないか、
その心振りに、ほれた。私も柳下先生の地獄をひたすら読んで行くわ、、(涙)
と、まあ、要するにショーもないとはじめからわかっている映画を見てどのようにしょうもないかを斬って斬って斬りまくる、
それだけのお話で、またそれが大変面白くて、映画批評であると同時に時勢評論にもなっていたりして、
ついでに今をときめく流行作家にけんかを堂々と売ってたりして、
(「有川浩原作の映画がしょうもないのは原作がしょうもないから」とみもふたもない本当のことを柳下先生は書きます)
どんなコネがあって、何がどうなってそれが映画化されるんでしょうなあ、私は原作も、ほぼ映画も見たことはないですが。
「大人の事情」って奴がこの世界には多すぎて、泣けるわ、
どこの社会でも「大人の事情」とは、有力者の出来の悪いボンボン、お嬢をそれなりに見せるために、
誰も「裸の王様だ!」といわないことざんすよ、ええ、よく知っております。
有川浩氏への喧嘩の売りっぷりも鮮やかだが、私が感心したのが原作を数作読んで、
なぜ、この人がこんなに映像化されるのか、不思議でたまらない「湊かなえ」の作品を
湊かなえの作品といえば、極端にエキセントリックな登場人物が、常識的には考えられないような行動をする、
たいそう人工的で不自然なこしらえもの」と私の違和感をさくっと書いてくれて、
これが本物の「もの書く人」であるなあ、と感動した。
たいていの小説は作り物だが、あまりにもその作りがキッチュと言うか、ずさんというか、これを読んで面白いと思う人は、
普段どんな生活をしているのか、心配になる。それでも山ほど映像化されているのだよね、これも「大人の事情」か。
柳下先生の今回は、どれもこれも本当にほめるところのないものばかりで、選んでそういうのを集めたか、
「浜の真砂は尽きるとも、世にクソ映画の種は尽きまじ」とはこのことか。
しかし、これほど斬って捨てられても当然の作品が、それなりに見られて、見に行く人がいるのは
ひとえに俳優のうまさなんだろう。
私はどんなに無茶振りな映像作品でも、出ている俳優さんがうまくごまかしてくれるのはすごいと感動する。
実は、今週最終回の「ごめん、愛してる」の感想を書こうと思って前フリに柳下さんの本を出したが、
長過ぎてしまったので、このドラマの感想はまた後日。
俳優さんたちってお仕事、大変、とひたすら感心しているのでした。終わり。