雑談。

先日、町山智浩氏の「マリファナも銃もバカもOKの国」を読んだ後でマイダーリンが「「ゴーンガール」を見よう!」と言い出して、
見たあとに私も「マリファナ〜」を読んでみたのだけれど、「クールガール」の章の「男に気を使ってるに決まってんだろ!」ってのに
マイダーリンほど感心しなかったりして。
マイダーリンがどこにそんなに感心したのかわからないが、私は妻側には共感できなかったなあ。
だって、「演技」で黙せる馬鹿な男を欲しがったのは自分でしょうに。
見たいものだけを見ているのは、男だけではないのよね、演技する女側だってそう、
小手先で引っ掛けた男の馬鹿さ加減に気がついたからといって自分が悲劇の主人公か、って言ったら、そういう相手を選んだ自分にも責任がある、
それをすっとばされてもなあ、、、という「クールガール」の演技経験のないババアがなんかいってますよ、的な、
まあ「クールガール」の条件とは「セクシーで明るくてジョークがわかってフットボールやポーカーや下ネタやゲップを嫌がらない女。
一緒にビデオ・ゲームをして、安いビールを飲み3pもアナル・セックスも楽しんで、ホットドッグやハンバーガーを口に押し込みながら服のサイズはМをキープする女」
なんか一時期の「キャミー(キャメロン・ディアス)」がよく演じてたみたいな女だなあ、
そういう「非実在」女性を求める男と長く付き合えるかどうか、演じる側は一瞬でも思わなかったかね?女だけが犠牲者ではないよ、な、
「ゴーンガール」の映画自体はよくできていたものの、さほど妻側には同情しない、と言って夫側にも同情はない、
私がひたすら気の毒に思うのは夫の双子の妹なんだな、この依存気質の兄貴の面倒を一生見なければいけない、そこにひたすら涙。
カップルの今後はどうでもいい、多分この夫婦は妻側の薄気味悪い両親の「過去」の姿なんだよね、
そこに生まれた「妻」がまた更に同じ「モンスター」を生み出し続ける、
そこには「かわいそうな妻」も「かわいそうな夫」も、そしてもう少しはっきり言うと「かわいそうな子供」も存在しないんだわ、
周囲を悲劇に巻き込み続けながら、ただ彼らは存在し続ける。
なんだかなあ。
面白い映画ではあったけれど、これを「夫婦の普遍」と捉えるべきか。
私は常時夫に「あなた、すっごーい!」と言い続けなければいけないくらいなら、結婚はしないわ、
私は夫に対して尊敬心は常にあるし愛情も、もちろん、ある。
でも特に感心しない時でも「あなたってすごォーい!」と言わなければいけない低脳男の面倒は見たくないのよ、
結局「演技」して引っ掛けた男というのは、そういうものでしょう。
「あなたの為に一生懸命演技しましたァ!」「そんな私を可愛いと黄金の心を持ったあなたは思ってくれるわよね、ね、ね」って
あくまで「演技」は「自己満足」と思う私がとりあえず今でも結婚生活を続けているのはひたすら夫の「忍耐」の賜物なのかね?
「ゴーンガール」は「ミステリ」としては面白かったけど、「夫婦もの」としてはあまりに周囲が気の毒すぎて、、だったのでした。
萌えポイントがよくわからんかった。
でも世の中にはこの手の女がいるんだろうなあ、不幸は自分の中にあることに気がつかないのは、幸せなのかな?