さて。

お勉強をしていないやつほど、行動力はある、の定説は永遠に覆らないのかもしれない、と、昨日の会見をチラ見して思ったものよ。
日本の殆どの憲法学者の無力をしみじみと感じて、それにしても、その解釈変更に誰が、どのようにメリットがあるのか。
解釈が変わらなかったところで、この「私」にさほどのメリットがないのは重々承知だけれど。
最近、第2次世界大戦のおさらいをしていて、戦争って結局は「経済」問題なのよねえ、
要は、数が数えられなくなったら、すべてをちゃらにするために戦争する、という、最後は博打か、と、経済なんてものの曖昧さにほとほと愛想が尽きるわ、
戦争があろうがなかろうが、持てる階層はほぼ永遠に「持ってる」しね。
否応なく博打に付き合わされる側のことなんか、わからない奴が政治をするのよねえ、何があっても自分は安全とわかっていれば
戦争も「やってみたいこと」の一つになるだろうね。
とは言うものの、「絶対反対!」を旗印にすることにも危うさは感じる、その手の人たちは、同調しないと「敵」認定が激しいから。
その「一致団結、絶対!」ぶりが怖いところよ、「国民を守る!」の言葉と同じくらい。
と、いうわけで、孫に男が生まれたら、我が家の伝統に則って、医学部にでも入れましょうかねえ、
下手に文系に行ってまっさきに徴兵されるより、まだ軍医徴用のほうがましなようだし。と言って、私の爺ちゃん、戦死してるが。
昔「ショウ(ザ?)フラッグ」の言葉があったな、「旗を見せろ!」って、
勝手に見たら?とはなかなか言えない、頭が悪くても金の苦労はしないボンボンに政治させるとこうなるんだよ、
できれば政治家にはせめて国立理系程度の教養を求めたい私、といっても、それもは止めにはならないのが分かるのよね、、、(涙)