「モノガタリ」を必要とする「ココロ」、、?

件の「リケジョ」顛末で、一番驚いたのが共同執筆者が多くいたこと。
褒められるときは一人に焦点が当たってたんで、これもまた「さむらごうち」的な「モノガタリ」が必要とされていたのかな、なんて、
ふと、習っているフレンチのグランシェフが「芝海老」事件について話していたことを思い出す。
彼曰く「もう何年も前からただの「エビのナントカ」というタイトルは経営者側から「ダメ」とされていて
新しいメニューは「○○産のなんとかなんとかでどうのこうの」と、普通なら3つくらいの単語で済むメニューを無理やり「長くしろ」」
「作る側は食べる側への「お話」が必要になった」と、ほかにも産地やら問屋やらの事情もあるんだけれど、
一概に、作るシェフだけを責めるのはどうか、と、シェフが、身内を庇うだけではなく、
「モノガタリ」をやたら求める人間が多いのも問題だ、の指摘は私も思い当たりふしがあるので、記憶に残った。
本当、なんでも「モノガタリ」を欲しがる気風があるのよね、、、人生でも。
トピ職さんのところを覗くとアホっぽい海外の「お話」の構造が解説されていて、なるほど、と、またこれも私も「モノガタリ」に納得しているわけだけれど、
かのお話がもし本当だったとしたら、妻を亡くした夫はまた「ジェーン」とよりを戻しているぜ、ってのが私の感想。
そして「死んだ妻が残してくれた絆」みたいな「イイハナシダナー」の「モノガタリ」をつくるの、人間ってそんなもんですぜ。
四捨五入して半世紀も生きていると人間というのは極めて身も蓋もないものだとわかるのだよね。
でも、ある種の人間はそれに耐えられない、だからやたらと「モノガタリ」を必要とする。
今日「増田」で拾ったネタではどうも「子供は欲しくない私だけど、結婚はしたい、でも子供がいらないなら結婚なんてする必要はないだろ、と彼は言う」と、
釣りなのはわかるがあえて釣られて言えば、
「子供が欲しくない私への「愛」のために本当は子供が欲しい夫なのに諦めてくれた」てのは「幻想」なんで。
「子供を本当は欲しがっている夫は欲しくない私のためにかけがえのない子供という存在を諦めてくれた!」という「モノガタリ」を
必要とする女はネットには多いのだよね、よく見かける。
でも、実は夫側も「子供は欲しい」と言ってるだけで、本当はそれを言う自分に「酔って」いたりして、
ほんま、似た者同士のカップルだぜ、あんたたちが子供を作らないのは生涯「最良」の判断だろうね、
と、あまり「モノガタリ」を信用しない私などは思うわけで、
もうちょっと冷静にモノを考えませんか、といったところで、宗教のように自分のための「モノガタリ」を必要としている人間にはわからないだろうし、
なんにしても小保方さんのご出身大学に娘の同級生で東大を落ちた子がおすすみになったりするんで
早稲田の理工はダメだー!ってのも、短絡的な「モノガタリ」として消費したほうがいいと思うのでした。
ま、「モノガタリ」を信じたほうが人生「楽しい」というのはあるけどね。
「結婚してくれない彼」にお悩みの増田がもし本当に存在しているのなら、
結婚相手は自分に似た男を探せ、とアドバイス
でも不思議なことに、子供は欲しくないと言ってる女は同じように「欲しくない」を公言する男は嫌うのよね、、おかしな話だ。
今日もお嬢様は朝早くから遊びにお出かけ、
人生に「モノガタリ」を必要としないほど遊び呆けろ、と母は思うのでした。