雑談。

昨日新聞で「婚内子」側のコメントを読んで、「婚外子」が「2分の1!」にこだわるように、
多分「婚内子」側も家庭の不幸の代償に「婚外子」の「2倍!」は譲れない点だろうな、と気の毒に思った。
双方の「プライド」の問題なのだよね、いい年をしてもまだなお親の「愛の量」を競うとは悲しい。
こういう不幸な子供の「制作」側へのペナルティーを課してもいい気がするんだが、そうならないのが世の常。
それはともかく、小町関係で「ありそう」ネタを仕込んだところを読んで、
お金持ちは資産保全を抜かりなくやってるんで、大きな混乱がないのは確かだろうな、と、
私の知り合いの小金持ちのところももめないように、どこから何が出てくるかわからない父ちゃんの死ぬ間際にいろんな手を打ってたな、
資産に「家業」が関わってると大変そうだったわ、「ある」ところは苦労するのねえ、、
中途半端に「ある」ところがもめるな、間違いのない大金持ちのところは、今までにたくさん経験してるのか、
あらゆる手段をとっていて、もめようがなかったりして。「家訓」でもあるんですかねえ、、、もめないための。
今回、代表のようになっている和歌山の女性で気になったのは「父親が死んで初めて自分が婚外子であると知った」のくだりで
高校に入るとか、何かの資格を取るとか、そのお年になるまでにご自分の戸籍を目にする機会はあるように思うんだが
親が隠したのかねえ、、、そんなことってできるのかな?私は自分の席を高校入学の時に初めて目にしたな。
今の法律でも、それぞれ納得できるやり方で後始末も出来るんだから、父親はそれをきっちりやっておけ、ってところか。
ふと、「法の下に平等」であるはずのすべての子供が親に「平等」に愛されているのかどうか、
多分、今回の件で争う側の「婚内子」が長く傷ついてきたのは父親にないがしろにされてきた事なんだろう。
父親がひょっとしてその謝罪のために、あえて「婚外子」に平等になるような遺言を残さなかったのかもしれないなどと、
実の父親に見捨てられてきた子供が何にプライドを見出してきたかを思うと、私はやはりそちらも哀れに思う。
人生でもめるネタを持ったら最後にはもめない努力をすることも必要ざんす。
でも、それができる人は初めからもめる元は作らないのだよね、とほほ。