覚え書き。

先日、「風立ちぬ」を見て、主人公の婚約者が結核であったことで思い出したことなど。
私の母方の祖母は、非常に有名な旧家出身なのだが、なぜか貧乏漁師の子せがれであった祖父と結婚して
二人が道ならぬ恋でもしたのかと思っていたら、ごく最近、祖母の子供の頃からの許嫁が結核で死んだのがきっかけで
祖父と縁ができたことを知った。そのいきさつはなかなか現代にあるものではないように思う。
母方の祖父は子供の頃から「医者になる!」を宣言して、「戦前」より遥か昔であった時代には
「身の程知らず!」と散々言われて育った。昔は今よりはるかに貧乏人の小倅が医者になるのは難しかったようだ。
「親が甘やかしすぎだ」とのご近所の声はあっても、祖父は恐ろしく勉強の出来る子で、
当時としてはそれも奇跡に近いらしい「師範学校」になんとか潜り込み、
祖父は一旦教師になって、ある程度の学資を貯めてから医者の勉強をしようと画策した。
その師範学校で、祖父は未来の妻となる祖母の、結核で亡くなった許嫁と知り合うことになる。
どういういきさつで、祖母同様、やはりそれなりの旧家出身のボンボンと友達になったのか、
一説では祖父は漁で鍛えた体を生かし、喧嘩では向かうところ、敵なし!だったとか、実は学校を「しめて」いた、とか、
祖父はとにかく武勇伝の多い人なので、その武勇伝の何が本当か生きている彼と会ったことのない私には知る由もない。
何はともあれ、結核に冒されていた祖母の許嫁であった旧家出身のボンボンの紹介で、彼の生前にも祖父は祖母に何度か会ったらしい。
後に、祖母の許嫁の結核が重くなって、残される許嫁を「頼む」と託されて、彼の死後、寝込んだ祖母を何度か見舞うこともあったようで、
(とはいうものの、家に入れてもらえなかったようだ。でも祖父はどうも家の塀を乗り越えて潜り込むくらいのことはしたっぽい)
昔は、許嫁が結核で亡くなったとなると、よほどの美人でもない限り「貰い手」がほかに見つからず、
とりあえず師範学校を出て、田舎の「プチ・エリート」になった祖父となら、結婚させてもよかろうと、
祖母の両親は祖父念願の「医専」進学の費用もつけて祖母を祖父のもとに送り出し、その二人から生まれたのが私の母になる。
祖父は結婚後、医専に進み、無事医者になったあと、何年もかけて、医者になるのにかかった費用を全額祖母の実家に返したという。
ゆえにその数年後、軍医召集がかかったとき、家にはそれほどの蓄えがなく、祖母は、祖父が戦死したあと、非常に苦労することになる。
でも、一銭残らず「学費を返した!」とは今はもう亡くなった伯父いわく、祖父らしい「武勇伝」であるとか。
「金がついたから、お前を嫁にもらったわけではない」というのを貫いたのは大変ロマンチックな、
祖母はそれをどう思ったのか、どちらもとっくになくなっていて、
そういういきさつがあったのを私が知ったのもここ何年か、母やその兄弟の話を聞いてで、
なんにせよ、昔というのは、やはり大変な時代であったことよのお、と、でも旧式の人間には旧式のロマンスがある、
そういうことを映画を見て思い出した。
地元では有名な旧家であった祖母の実家は私が子供の頃、県の指定文化財となって、今は一般に公開されている。
母が一度訪ねたいというのでいつか私も行くことがあるかもしれない。
そこは「本陣屋敷」で「お白州」もあって、と聞いてはいるものの、寡婦となった祖母に冷たかった祖母の実家に私は何の興味もない。
伯父の話では祖父がなくなった頃、その家は祖母の兄弟に代替わりしていて
祖母の両親は息子に遠慮して十分な援助をしてやれなかったようだ。
それでも、こっそりと祖母とともにその家を訪ねた記憶のある母にとっては「懐かしい家」で、
母の祖父母はいつも一段高い間に御簾のようなものの向こうで揺らめいていた影だった、と、なんとも子供らしい記憶だ。