かぞくのきろく。(その2)

父方の曾祖母とその娘である祖母は「実の娘」と思われることがほとんどなかったそうで、
実際、祖母は私の知る限りかなりの美人だったので、曽祖父は美しい人だったようだ。
容貌はまったく違っていても、この母娘には困った共通点があって、
それが何かと言うと、「イケメン・無罪」である。
祖母はのちに容貌が良いがために大阪の百貨店に勤めていた農家の次男と駆け落ちして、
私の父親を生むことになったりして、その私の父親はやはり容姿端麗なので、
実の祖母や母親にたいそう甘やかされて育てられ、人として少々「あれ」になったんじゃないか、
考えてみれば40前後で今でいわゆる「アルコール依存症」の結果亡くなった私の曽祖父は「ろくでなし」で、
父は実の祖父をまったく知らずに育っているが、現在同じ病を抱えているので、「遺伝」とは恐ろしいものである。
曽祖父一族は地方史には必ず名前が載る名家で、詳しい日本史教科書にもたまに小さく記述される。
現在も一族はその地方でほぼ「君臨」に近い位置にあり、古い由緒ある屋敷は料亭か旅館になっていると聞く。
紹介なしには利用できないらしく一般には知られていない。
私はかつてその一族の直系の人と職場が同じで「○○家、最後の一人」と聞かされたが、
その人は私の曽祖父の兄弟の末裔なのでおそらく本当の直系は私の祖母になるだろう。
しかし、祖母は実の父親が死んだ後、母親の実家に戻されたので、つきあいはない。
曾祖母が嫁いだとき、既に曽祖父に家督権はなかったようで、本家とは別棟に曾祖母とともに暮らしたようだ。
要は、廃嫡された「アル中」の面倒を押し付けられたのが私の曾祖母で、客観的にみればかなり悲惨に思える。
しかし、曾祖母はずっと一人で家で帳簿付けをさせられるよりは遠くはなれたところにお嫁にいけて、
酒さえ飲まなければ良い人との間に子供まで持てた、
そんな感謝の念をどこかで持っていたのが図太いと言うか、たくましいと言うか、
そういうしっかりものだったせいか、次の結婚もすぐに決まったようだ。
子供つきで実家に帰した曾祖母に、曽祖父の家は今で言う「慰謝料・養育料」なのか、
そこそこの資産もつけて、その資産と子供こみで結婚してくれる相手はすぐ出てきて、
それが私の旧姓になる名前の持ち主、祖母の養父である。
私の兄弟は、血のつながりのない一家の名前を名乗っているので、誠に「名前」とはいい加減なものだと思う。
曾祖母の次の結婚はやはり遠く離れたところの今度は農家の何番目かの息子で、大阪に出て船乗りをしている、
自分の店を持ちたいが資産がないので、資産のある相手と結婚したがっている、故に年齢不問、器量問わず、のような、
そこに「愛」はあるか、と言えばないんだろうが、意外にこの結婚はうまくいって曾祖母はそこそこ幸せだったらしい。
私の義理の曽祖父は「日本でバルチック艦隊を最初に見た!」と主張していた人で
アメリカや諸々、当時としては珍しく世界を渡り歩いたベテラン船乗りだった。
祖母いわく、裕福な商家の娘として「蝶よ花よと乳母日傘のもと育った」そうで、
曾祖母の資産を元手にした商売は祖母が大人になるまではうまく行ったようだ。
曾祖母は数に明るい人だったので、金の管理は一切自身で執り行ったらしい。
最初の結婚でもアル中の夫とごろごろしているのは暇なので多少帳簿付けの手伝いもして、重宝されていたと言う。
結局、大昔でも女性の人生は「器量」より「技量」かもしれない。
曾祖母は当時としては非常に珍しい「和算」まで出来る女性でもあった。(続く)