待ちくたびれて、、(涙)

「教育とは、待つことである!」とこの決めゼリフにしびれている人と、「ハシズム」信奉者の違いがよくわからない私、、
どちらももっともらしい言葉にすぐ丸め込まれるところが、よく似ているわ。
同族嫌悪って本当に情けない現実よねえ、、、
「月に変わっておしおきよ!」みたいな、最近の「プリキュア」の決め台詞ってなんだっけ、
ある種の熱狂的な支持者を集める「素敵!」教育論に待ちくたびれているうちに私の子供たちはとっくに義務教育を終えてしまったので
プリキュア」もみなくなってしまったわ、、、もう「プリキュア」ですら、ないのかしらね。
確かに教育は待つことですわ、でもねえ、何がなんでも小学校の時に「九九」は覚えてもらいたいもんなんで、
それもただ「待つこと」なんて悟り澄まされちゃった日にゃあ、どのような素晴らしい子供たちが社会に放流されるか。
まあ、もうすでに放流されちゃっているんだけれど。
彼らが特に悪いわけではないんだけど。あてどもなく待たされているうちに勝手に育っちゃっただけで。
東京都内にご出生になられて、早稲田大学をご卒業あそばした小田嶋大先生には上方の文化がどういうものか、
お分かりにならないんでしょうなあ。
上方は江戸時代からずっとまたされっぱなしですわ。
もう待ちくたびれているから、何もかも、どうでも良くなる。
「待つ」のは、「いつ」まで、なのか、「待つ」ことができるのはある程度の「保証」があってこそ、なんですわ、
その「保証」が生きていくためには必要なんですな、この過酷な社会では。
「素敵な「待つ」教育」で育ってきては、かけらほども待ってくれないこの社会では生きてはいけない。
「橋下」以前の大阪が教育の楽園だったとでも?
私は大阪人ではないけれど、同じ文化エリアの人間なんで大阪人たちが橋下を選んだ苦悩がよくわかるわ、
美辞麗句で子供は育たない、がいやというほど、このド不況下でわかってしまった。
そして失敗を言い立てて「理想!」ばかりを押し付ける人間たちの「言葉」では子供は育たない。
「理想的な環境!」なんてこの世界にはない、もちろん教育の世界にも。
「それをこれからつくろう!」ってのはとても素晴らしい「理念」
でも、「今」、何をしなければいけないか、
「待った」なんてないんだわ、ハシズムであろうが小田嶋ズムであろうが、使えるものは何でも使う、
そうやって、実は「自助努力」を密かに信奉する私は子供二人を育ててきて、これだけは言える、
「待つ」のは「いつ」までか、そして「何を」かを明確にしておけ、と。
ああ、もうこの「子供たちを守れ!」と言って子供のいる環境を戦場にする連中には反吐が出る、
「教育」を語りたがる人間には気をつけろ、と、理想と現実は違う、を理解してきた私は書いておくわ。