今日のメモ。

なりすましソフト(?)を使った「真犯人」がテレビ局にメールを送ったそうで、その内容をニュースで見て、いかにも「ネット民」だなあ、と妙に感心した。
「警察とあそぶ」と書く、ああ、そのナルシシズムだだ漏れっぷりに泣けるわ。
無関係な人間を巻き込んだまぎれもない自分の悪意は華麗にスルー、
「頭のいい」愉快犯を装うその見事に薄っぺらな「言葉だけ」の存在には何の「葛藤」も感じられない。
巡回先で「みんながツッコミ役ばかりをやりたがる」の記事を読んだ時、そのツッコミがなぜくだらないのか
多分「突っ込む」というにはあまりにも「浅い」からなんだろう、と思った。
自分が文系教育を受けていてよかったと、ネットで書くようになってしみじみ感じるなあ。
私は大学時代、先生に「批評する側は、決して批評される側より上の立場にはない」と教えてもらったんだよな、
これは人生において、最も大切な「生き方」を教えてもらったんだと最近やっと気がついた。
突っ込む側は、常に突っ込まれる側よりレベルが「下」であるとの意識を持ってない人が「突っ込む」から
それは恐ろしく、くだらなく不快になる。
「葛藤」がないんだよ、どんなにしょうもなくても、それに突っ込まずにいられない自分の卑小さを全く理解できていない、
批判でも批判される側より、批判する側の方が「愚か」だという意識を持たねば、
そしてそこに羞恥心を持たねば批判もツッコミもなんの意味もない。
ネットで巧みに書けても、批判される側を、それがどんなものであったとしても、必ず、批判している自分より「上」の立場にいると考えてなければ
「俺って賢い」「私って素晴らしい」のナルシシズムの御開帳でしかない。
見下しているものをわざわざ踏みつけにして「俺ってすごい?」とやることに何の意味があるんだろう。
「こんなアホなこと書くお前もアホやが、それに突っ込まずにいられない俺もアホ」的な「美学」を持って書く人はやはりネットには少ないなあ。
言葉も薄っぺらなら悪意すらも薄っぺらい、いかにもネット、というのをしみじみと。
しかし、不可思議な、ネット上で「私がやりました」とは言わないのね、何故か「テレビ」、
やはりまだネットよりテレビが強いなあ。