いやはや。

会田誠関連を読むと、しみじみ「アート」って「男の世界」なんだなあ、と。
「不快感こそ深い快感だー!」みたいな、もう目が点になるようなご高説を読ませていただき
「アート」はアホも隠せる便利な道具だとしみじみした。
「強姦される女全てが心の中では喜んでる!」みたいな暴論でも「アート」風味をまぶせばオッケー、的な、
そういう「アート」の暴力的な部分が怖い、の感性が理解できない鈍感さはやはりナルシシズムから出てくるのですかねえ、、
女性が男性の陵辱絵を書いても男性から恐れられないのは、女性に「力」がないから。
異性の「暴力」にさらされる危険をほとんどの男性は経験しない、だからその恐怖がわからない。
恐怖を面白がる感性を「素晴らしい」と評価するのは、いかにも「男」社会的だ、「暴力」ってそんなに魅力的ですかね?
多分、そういう考え方がスポーツ界の異常な体罰や、あるいは、二十の女の子がちょっと男の子と仲良くしただけで丸刈りになる、
それを大喜びで受け入れる素地を作ってるんだろう。
会田誠関連を読むと、なんとなく、ネットでは、特にはてなでは嫌われている村上隆を評価したくなる。
億の金もらっても欲しくないおかしなフィギュアを売った人だけど、まださりげなく会田誠を持ち上げている人よりましかも。
バカポルノにアート風味をまぶすのはどちらも同じだしね。
不快に思う理由は人それぞれで、「どこの国のフロイト?」みたいな精神分析なんて、今時、お昼のワイドショーでもやってないわ。
つか、「アート」をかじると、「精神分析家」気取りになれるのは、なぜなのか。
あんたが不快を快感と思うのは勝手だが、ほかの人間もそうだと思い込むのはやめてくれ。
本当にアホなものを読んだ、この不快感は決して私にとっては快感ではないんで。
アートは確かに「なんでもあり」だろうが、
その「なんでもあり」は他人にもある権利なのに気がつかない自分の鈍感さに陶然とする人間は、その能力の無さをさらに「力」で切り刻むことはできない。
その「非力」に立ち向かう「アート」が見てみたいわ、ま、無理だろうな、それは「男」には評価されない。
そういう仕組みをつくづく思い知らされたわ。