日常。

久々に本を読んでいる。
図書館で借りた本は津村記久子さんの「君は永遠にそいつらより若い」「婚礼、葬礼、その他」「とにかくうちに帰ります」
ル・カレの「ティンカー・テイラー・ソルジャー・スパイ」、佐野眞一「別海から来た女」
津村さんは「ポトスライムの舟」が借りたかったものの貸し出し中。
読み始めて好きな雰囲気の文章なのでほっとした。うんざりせずに読めそうなのはおばちゃんには貴重だわ、、(涙)
ル・カレは「寒い国から来たスパイ」以来、読んだことがないので、こわごわだったりして、
映画「裏切りのサーカス」の原作本と聞いて読み始める、何たるミーハー!
そう、最近、私はベネディクト・カンバーバッチくんの追っかけをやっている。いや、老後の楽しみができてよかった。
持病が再発して食べることが制限される生活を余儀なくされているので、こういう楽しみを見つけられたのは僥倖。
なんだかんだ言って「食べる」は「レジャー」なので、「食べられない」は辛いのよね、、、
しかも私は自分の食べない食事を毎日作らねばいけない、どんな人生の罰ゲームなんだよー、トホホ。
再び「プレドニン」な日々が始まるかどうか、服薬を拒否している私は、再検査する日までなんとか数値を自力で下げられないものか、
ありとあらゆる努力をしたりして、お薬を飲み始めると副作用のもろもろが不快なのよ、なんだかんだ言って最も嫌なのは膨らむ自分の顔だったりして。
自分の顔が自分の中に沈むって耐え難い感覚よ、、、それを見るのも見せるのも、いや。なんたる見栄っ張り。
下の子に「また、ママは病気になった」というと「またママの顔が大きくなるのね、、」とため息をつかれた。
子供は子供なりに気を使っているらしい。上の子に電話のついでに言うと「また?」と面倒くさそうに。ちっ。
佐野眞一氏の連続練炭殺人事件本はアマゾンで叩かれているほど、ひどくはない。
むしろ、私が読んだところ、北原みのりさんの「毒婦」よりは「まし」なような、これは「毒婦」も立ち読みではなくじっくり読んでみるべきか。
感想はまた後日。
昨日、「家庭料理」は外で食べる料理より、下、的な価値観を見かけて、プロの料理人の食事を毎日2回、食べられるかどうか、
それを考えれば根本的に上下関係には、ない、がわかるはずなんだけれど、わからない。
プロの料理がプロの仕事である所以は「常に完璧に同じ味」が作られるかどうかであるという事実はあまり知られていないらしい。
プロの料理人いわく「どんなにおいしい料理でも、毎日は食べられない、なぜなら「飽きる」から」
常に「同じ味」という「品質」を保つというのはそういう事なんだな、
で「家庭料理は飽きない、味がやはり一定しないから」と、これは有名料亭の料理人の特別講座に行ったとき聞いた。
料理って哲学だよな、、多分、私がかの書き手が気に入らないのは言葉に奥行がないから。ブクマを集めていても読まないように気をつけようっと。