メモ。

佐野眞一氏が賞の選考委員を辞任する意向のニュースを読んであの事件では一体誰が一番得をしたか、と考える。
今や高校生にまで「部落民!」と罵倒される橋下徹ではもちろんないし、
いつもの芸風をおそらくは覚悟の上で押し通そうとしたのに雑誌側にぷっつりと切られた佐野眞一氏本人でも全くない。
一番得をしたのは、橋下徹を疎ましく思っている人間たちと、
東電OL事件の再審で無罪判決が出たにもかかわらず、同時期にこの騒動があったで佐野氏が果たしたジャーナリストとしての役割が曖昧になり、
結果、警察がそれほど責められる論調が高まることはなかった、故に東電OL事件の真犯人を捕り逃した警察関係者なんだろう。
誠に美しいと言えるほど素晴らしい着地だ、かの雑誌社は本当に上手にやった、
こうも目障りなふたりに忌まわしい「記録」をつけるとは、いったい誰が考え出したやり方やら。世の中にはとても頭のいい人間がいるのかもしれない。
などと「陰謀論」を書いてしまうが、なんにせよ、私の記憶に強く残ったのが日頃「差別はよくない」的なことを高らかに書く人間ほど差別主義者である現実で、
橋下徹を排除するためならばどんな差別発言でも「正義」だと言わんばかりの巧みな論述をいくつも読まされて心の底から、
「理想!」を掲げる人間ほど恐ろしいものはない、と思った。本当に顔にヘドをぶっかけられた気がしたわ、
平気でああいう擁護ができる人たちを私はこの先死ぬまで信用することはない、自分の顔を見て恥ずかしいと思わなかったものか。
それはともかく、佐野氏自身には反発覚悟で書いていたはずで、
雑誌社は彼とともに反発にどこまでも立ち向かい、どのような結論を出すのか、最後まで書かせるべきだったと、私は実は思っている。
むき出しにした敵愾心が何をあらわにするか、存外、橋下氏の美点が浮き彫りになったのかもしれない。
少なくとも私は、彼の生まれ育ちから今に至るまで、どれほどの努力を重ねたか、並大抵の人物では決してないのをはっきりと思い知った。
なんにせよ、佐野氏に書き続けさせないことで佐野氏自身の気概や名誉も奪ってしまった、かの雑誌関係者は佐野氏だけが責めを負うことをどのように思うのか、
それなりに社会的役割を果たしてきた老ジャーナリストを貶めた関係者の顔を拝んでみたいものだ。
結局、私は何を読んでいるんだろう、と虚しくなることが時々ある。
東電OLだった彼女は決して殺されるほど悪いことをしていないにもかかわらず、彼女の命を奪った犯人はのうのうと今も社会に潜む。
人よりかなり恵まれていると思われている彼女が精神の病から売春行為に手を染めて、でも生きていれば、いつかその病から抜け出る機会もあったかもしれないのに、
世間は彼女がかつて「エリート」であったが故に、彼女の無惨な死は彼女にとってまるで一種の福音でもあるかのように片付けられて終わっている。
終わらせてはいけないのに。
それを言わねばならなかったのが佐野氏のような体を張ったジャーナリストのはずだが。
かの件に関しては思うことは山ほどあるが、とりあえず今日はメモとしてここまで。
どこかのクズがうまくやった的な感がどうしても私には拭えない。本当にいつまでも後味の悪い件だ。