日常。

わたしの書く動機付けは「毎日続ける!」なのだけれど、ばたばたしているとそれも滞りがち。
病院は連休になって見舞客がいつもの3倍増しで賑やかだ、久々に会ってご挨拶するご親戚たちがあちらこちらで見られ、はしゃいだ子どもが走り回る。
私は、ロビーでぎゃん泣きする幼児の声にふと癒されたりして、必死に泣きやませようとするお母さんの低い声をまったりと楽しむ、
ああ、ええわぁ、こういう日常のひとこま。
多くのひとに見舞ってもらえる人というのはいいね、田舎は特にそういう人が多い、そしてそそくさと退院していく。
ここ何年か、70〜80歳世代とつき合うようになって、いろんなことを考えさせられる、いろんな夫婦や親子に会ったり。
老老介護」というのは一見悲惨だけど、内実は幸せなカップルの最後のかたちのような、「寄り添い、生きる」の最後はそうなるもので
それに子どもが割って入る余地はあまりないな。
しかし、そんなカップリングばかりでもなく、親子関係でもう悲惨、としか言いようのない場合も目にしたりして。
明らかに呆けてしまって、自分の身内を罵り狂うおばあさんを必死に抑える、どうもそのおばあさんのお孫さんじゃないか、みたいな、
若い女性が暴れるおばあさんをつかまえているのを見た。かわいそうに、若い女性は顔が凍り付いていたわ。
子どもに見放され、成人した孫に連れられているのかも、それにしても、強烈にうるさいばあさまだったわ、付き添いの苦労に泣ける。
うちの親戚を見渡して、この手の元気の使い方がまちがっている系の呆けっぷりを示す人はいないな、
なんとなく、呆けると子どものころに戻る人が多いような、子どものころきかん気だった人は呆けるときかん気になるな。
ワタクシは意外にも幼少期、おとなしくてどこにいるのかわからないような子どもでしたわ、ホホホ、これで安心、って、
呆ける前にぽっくり行きたいものよ、、、(涙)
いろいろ考えることはあるものの、非常に疲れているので、これまで。