雑談。

朝日新聞「彼女の事情」はすっきりしないまま終わって、何が言いたかったのやら。
「姉と母の犠牲者だった私は夫の家族ともうまくいかなかったけど、離婚はしていない」ようで、単に「かわいそうな私、」だけを「語る」内容で終わって、
「え、だから?」とさっぱり腑に落ちない。これって共感しなきゃいけないのかしら、もうおばはん度が高いとホンマ感受性って鈍いわぁ、、、(涙)
で、「おかあさん キライ」はいい歳をして、まだ「母・娘」関係から解脱できていない50歳のおばちゃん登場。
実はネットをするようになって驚愕したことのひとつに「親」を「好き」「キライ」の感情でわける人が結構存在すること、
私は祖母に育てられたせいか、自分の親を「好き」「キライ」で見たことがない。
つか、「好き」でも「キライ」でも、一生つき合わざるをえない存在だからなあ、、、「キライ」になってもしようがない、と言う考え方で来ている。
と言うよりも「好き」「キライ」の発想さえなかったわ、これは私の周囲も多分、そう。
育ちが悪いって、こう言うときに楽なのかも、「親だし、しかたがないやん」で、割りきっている人が私の古いつきあいの人間には多い。
もちろん、この手の人間は「子どもに好かれよう」と努力することもない、「常識」のレベルで子育てをしていて、私もそのレベルだ。
まあ、それはともかく、「親」を好き嫌いで見るひとは、同じように親に好かれたい気持ちが強いんだろうな、と思う。
朝日の記事では「依存」と「支配」は表裏一体と書いてあって、確かに、支配したがる人は実は支配されたがっているとわたしも知っている、そしてそれを「依存」と呼ぶ。
でも、私は他人って支配できる存在か?の懐疑を持つ、自分が他人から支配されきれないように自分だって他人を支配することは出来ないだろう、
人の本質は「奔放」であり、それを制御できる他人が存在するかどうか、、、、
私の考え方って、変わっているのかなあ、どうも世間的常識とはかけはなれている気もしてきた。
親の話に戻して、もし私が自分の親と「好き嫌い」でつき合っていたとしたら、とてもやっていけないなあ、
特に実家の父親など、衰えたここ数年、まったくさんざんなことをやらかしてくれちゃって、洒落にならん。
ま、しゃあない、親だし、でかたづけているこのやりかたは「欺瞞」なのかもしれないが、それはそれでいいとわたしは思っている。
好きと言えば、育ててくれたばあちゃんは、たいそうむちゃくちゃな人であったが、今でも心から愛しているなあ、そのわりに祖母の最後の瞬間、私は自分の子どもと共にいることを選んだ。
それをばあちゃんも望むことを疑わなかったので。
ばあちゃんは、B型肝炎保菌者だったので新生児を産んだばかりの私は近づくわけにはいかなかった。
なんにしろ朝日新聞的常識と、私の常識はかけはなれているんだろう。
「お母さん キライ」記事は「田中京子」氏と「山内深紗子」氏担当、この「山内深沙子」氏の名前をどこかで見たことがあるような。
最近、気になる記事は書いた人間の名前をメモるようにしている、自分の日記で検索して思い出せるように。
物忘れがひどいわ、、、(涙)