日常。

「震災からもうすぐ1年」の言葉をあちこちで見かけて、「震災」といわれると「阪神・淡路」しか思いうかばなかったりして、
今の動きに既視感があってどうも「もうすぐ1年」の言葉にピンとこないなあ、「まだやっと1年」だ。
殊勝に「あれから1年」なんて書きのこすつもりは全然なくて、相も変わらず、馬鹿なことばかり書き連ねる。
「八日目の蝉」と「日野不倫OL殺人事件」の類似性はもうすでにあちこちで指摘されていて、
読んでいるとついでに小説と映画の違いもちらっと知ったりして、そういえばドラマ化もされていたんだな、それでよく大絶賛を見かけたのか。
「子どもを連れ去った」話であることだけが頭に残っていたので、それを「美談」化されてもなあ、
連れ去られた側の身にもなって見ろ!が私の変わらぬ感想で、「日野」の事件にも登場人物の状況がよく似ているらしいことにあらためてうんざり。
やっぱり気持ちが悪いわ、これ、どんなに上手な設定であったとしても、私には嫌悪感しかない。
ネットのいろいろを拾い読んでいると、世の中、被害者へのバッシングがかなりひどいということをあらためて知った。
「日野」の事件をひいたとき、洒落にならないようなスレッドがあって、被害者の家族は本当に大変だ、
つい先日の母子殺人事件でもそうだったな、人間、家族を失うだけでも精神的な負担は大きいというのに。
被害者叩きの報道がひどいといえばいわゆる「音羽お受験殺人」なる呼び方をされていた事件もひどかったようで、
「殺された側の親が悪い」といわんばかりの報道に家族を失った側は大きく傷つけられていた。
ニュースで事件を知るだけの私などには記憶になかったが、こんなに被害者の母親は叩かれていたのか、
そしてそれが事実無根であったことが大きく報道されることはなかった現実にぞっとする、「真実」は知られなくてもかまわないんだろうか?
「センセーション」さえ呼べればそれでいい、ってことか、その方が「売れる」んだろうね、「炎上マーケティング」ってネットの十八番ではないのね、、
ふと、私の記憶に残る事件は子どもが絡んでいるものが多いのに今さら気がついた。
私は、自分の子どもが突然奪い去られることをずっと恐れているんだろう、たぶん子供を産んだばかりの時に「連れ去り」事件が起こったせいで。
「社会に大きな不安を与える事件」の言葉に今までピンときたことがなかったが、自分がまさにその「不安」の影響下にいることにやっと気がついたりして、いやはや。
20年近く前の、自分にはまったく関係のない出来事すらも深く心に刻まれることがあるというのに、
ましてや、大きく生活を損ねられた人たちにとって「1年」なんてほんの1時間にも等しい気がする。
何が原因であったとしても「被害」は常に哀しい。