読書メモ 佐野眞一「東電OL殺人事件」その1

「東電OL殺人事件」は読んでいて辛かった、、
事件が起こったのが1997年、この本が発行されたのが2000年、加害者とされたネパール人が故郷に帰れたのは今年、2012年。
「加害者」とされたネパールの方が故郷に帰れるまで15年もかかったのをすでに知っているのだから、救いがない。
読めば加害者とされた人は「冤罪」と考えるのが自然だし。
またそれ以上に、今回、私は「東電OL殺人事件」がこんなにも救いのない女性の事件だったのかー!と衝撃を受けてしまった。
1997年当時、私は4歳と1歳の幼児乳児を抱えて、支えてくれる親族など一人もない転勤先でてんやわんやの生活を送っていたので
おぼろげに、「東電」と言うところにつとめる女性エリート社員が冒険心と好奇心から、ちょっと売春じみた危険なお遊びに手を出してみたところ、
悪い外国人の手にかかってしまった的な物語を勝手に作り上げていて、どうやらそうじゃないらしい、は中村うさぎさんの本でやっと知った。
でも中村うさぎさんほど、この事件に入れ込むことはなく、ただ「なんでそんなことをしたんだろうな?」の疑問が
中村さんの「解読」で少しわかったような、それでも「ふーん」程度にしか感じることはなかった。事件の悲惨さがほとんどわかっていなかった。
今回、被害者である女性の細かな情報を得て、初めて、この事件の恐ろしさを知った気がする、
ありえないほど悲惨な日常を送っていた人が殺されるまでその存在に気がついてもらえなかった事件なのだよね。
「婚活殺人」と称される事件を「毒婦」のタイトルで書いた北原みのりさんは加害者である木嶋佳苗と東電OL事件被害者を何故か結びつけていたが
私には、被害者女性が抱えていた孤独は木嶋佳苗の手にかかって亡くなった男性たちの孤独と同じに見える、
彼らもまた、殺されるまでほとんど社会に、その孤独な存在に気がつかれることがなかった。
実際、はじめは「殺人」とすら認識されなかったんだから、殺されて10日ほどたってやっと発見された女性とどちらが「まし」なのか、
これが「男」と「女」の違いと言ってしまえばそうなのかもしれないが、一定年齢の人間が抱えこむ「孤独」に男女の差はなかろう。
生きているうちに、殺人者以外にその存在に気がついてもらえなかったものか。
てな雑感を書いているうちに、長くなったので、明日に続く。(多分)