追記。

「八日目の蝉」のあらすじにぞっとさせられるのは、新生児連れ去り事件と同時期におこった、不倫相手の子どもを焼き殺した事件を思い出すからでもある。
あの事件にも驚かされた、不実な不倫相手の腹を刺すとか、ガソリンぶっかけてやるとかなら、まだわかる(ような気がする)
百歩譲ってその「妻」を襲うとか、それなら十分同情の余地もあるものを、
両親の咎とはなんの関係もない、罪のない幼児の寝込みを襲って焼き殺すなんて、その女がどれほど辛い思いをしたとしても許されることではない。
「八日目の蝉」ではいかにも美しく詳細に加害者側の事情がつづれらているのだろうが、
それでも不倫の「現実」は決して美しいものではないし、騙されていたとしても不倫などというものは自身で決着のつけられる事情でもある、
決して「子ども」を巻き込むような種類のものではない。
不倫相手の子どもと親の間を裂いて、復讐をする、それをどれほど「母親のような愛情」の言葉で飾ったとしても、
そもそも、対象を不幸にする愛情など、愛情ではない、それは「愛情」の皮をかぶる何か別のものだ。
どうも世間というものは「愛」というものの本質をまったく理解していない人間が多いらしい、
愛は人を自由にし、強くするものでもある。それ以外のものは「愛」ではない。
子どもを育てることを簡単に考えすぎている人間も増えているんだろう、子どもが減っているかわりに。
自分がしていないことをさも簡単に考えられる軽薄さが安易にこの手の小説を絶賛させるように思う。
不倫相手の子どもを焼き殺した事件はウィキペディアに詳細が載っていて、犯人は無期懲役となったようだ。
ウィキによると、犯人は「直接子どもにガソリンをかけたわけではない」などと主張したらしい。
しかし子どもが寝ているような狭い部屋にガソリンをまけばそれは子どもの体にもかかったことだろう。
生きながら見ず知らずの女に焼き殺される地獄を何故幼い子どもが見なければいけなかったのか。
しかし、一部メディアはどうやらこの犯人に同情的であったらしい。
かなりの年月がたって被害者の家族である不倫相手の妻が犯人が主張した「妻に言われた罵倒の言葉」への反論を試みているようだ。
「女と女の戦い」のように煽られるのを避けるために時間をおいたらしい。なんとも気の毒な話だ。
新生児連れ去り事件の方はネットにはあまり残っていない。それだけ加害者側も同情の余地があったということだろう。
懲役に対して加害者、被害者双方とも控訴はしなかった。加害者たちの反省と被害者家族のほのかな憐れみを感じる。
事件の被害者だった連れ去られた子どもは今、どんな春を迎えているだろうか?
「八日目の蝉」の登場人物とは違い、幸せでいることだろう。小説の中の登場人物よりも、現実世界の人間は遙かに強い。
そのことを忘れたくないと思う。
ところで、今さらかもしれないが、何故かはてなで「ともだち申請」というものがされているようで、
でも誰が申請しているか、どこで確認したらいいのかわからないので、放置。
あいにく「ツイッター」も「フェイスブック」もしていないので、ともだち申請された方、あきらめてください。
承認しないのには悪気はありません。ごめんなさい。
つか「ともだち申請」って何?はてなはしょっちゅう仕様をかえて、いったい何をどこで見ていいのかおばちゃん、全然わかりません、、(涙)