雑記。

ヒトラー関連の本ばかり読んでいると、下の娘に「ママったら、おかしくなっちゃうんじゃない?」と心配された。
ヒトラー関連の本の装幀は、どこかおどろおどろしいからねえ、、、そういうおどろおどろしいものを好んで借りてくるせいもあるんだが。
「おかしいのは今に始まったことじゃないから、心配するな」なんて言わずに、「今、お勉強中」というと、
「ママは、変なお勉強ばかりするねえ、、」と呆れられた、そういえば、上の娘は私がどのような本を読んでいても、それを指摘することはなかったな、
上の娘が読書家であるのに対して、下の娘はまったくといっていいほど本を読まないせいもあるか、漫画もそれほど読まないしなあ、、、
上の子は自分がよく本を読むから、多少は「装幀」の意図がわかるのかもしれない。おどろおどろしい装幀にも「免疫」があるんだろう。
二人の娘に、絵本の読み聞かせは同じようにやったが、持って生まれた個性のようなものがあるんだなあ、
上の子は「文字」に強く興味を覚えたのに対して、下の子は「絵」に執着した。「絵」と言うより「色」かな?
ヒトラー本の装幀は何故か「赤」がよく使われている気がする、警告色だな。
ヒトラーを絶対悪ととらえる、そうせずにはいられない狂気を彼は持っていたと言うことなんだろう、
「絶対悪」は人ではなく、成された結果に対して用いるべきのように思うが、ユダヤ人虐殺の歴史は静止できない何かがあるんだろう、
それはユダヤ人に対してだけではない、民族の消滅を望むと言うこと、それを実現しようとした人間をどこまで冷静に見て取れるのか、
今なおむずかしいのだろうと思う。虐殺の歴史はいつまで続くんだろう。
ふと、いわゆる「良識」人は何故、殺人を犯した「かわいそうな境遇」の人間には甘くて、「かわいそうな境遇」からはい上がってきた人間には手厳しいんだろう、と思う。
橋下市長なんて、相当「カワイソウ」な境遇からはい上がってきた人間のはずだが、どうやら、一般的(?)には、「殺人者」以下の扱いだ。
まだやってもいない「殺人」でも裁かれているようだしね。
私は彼が自分と同じく育ちの悪い人間なので嫌いだが、それでも何をやっても「コイツは悪人だー!」と叫ぶのはどうかと思う。
「そういう精神がヒトラーを出現させたんだ!」と言われるんだろうが、どうなんだろうね、それが知りたくて、本を読む。
殺人犯のように安心して見下せる存在は許せても、ともすれば自分より高い位置にあがった「カワイソウだった人間」は気に入らないのかな?
自分自身の差別心と向き合うことが出来ない人間が、ヒトラーの出現を許すのだとわたしは思う。
読んだヒトラー関連の本を記録しないといけないなあ、すぐ忘れるし。(涙)