ブルータスに松本大洋と五十嵐大介の対談があって、初めてこの二人が自分と同世代ということを知る。
二人とも、ずっと下かと思ってたよー、同世代の書けた「わな」に思いっきりドはまりしていたかー!自分!!って感じ。
五十嵐大介は私よりずっとしたかと思ってたのになあ。
対談内容は短いものの、濃かった、彼らの描く世界同様。松本大洋の描くものは本当に「漫画」に納得。
自分の作品と他人の作品を的確につかんでいるものなんだなあ、それなりに有名な作家というのは。
西原理恵子の「画力対決」を読んでいると、大作家とは「アーチスト」というよりは「職人」なんだな、とよく思う。
この二人もそういう感じ、そうでなければ、書き続けることは出来ないんだろう、つか、むしろ「アーチスト」=「職人」なのかも。
西原さんが確か「才能とは金で計れるもの」と言ったと聞いて、なるほど、と思った覚えがあって、「職人技」には金を支払うものな、
ハテナ界隈とかで評判の悪い村上なんとかもある意味「職人」なんで、確かに「アーチスト」でもあるのかも、なんちゃって。
こう書くときぃきぃ怒りそうな人が山ほどいるだろうな、うちのダーリンも含めて。
「キィキィ怒る」と言えば、橋下バッシングをうざいと書けば、そうなる人ははてなに多そうで。
「ハシズム」という言葉が私は嫌いでね。そのヒステリックな物言いをどうにか出来ないものか。
あー、もうなんかダメだ、って感じ、「橋下はヒトラーの再来」と言っておけば、なんか「正義の味方」と思ってる頭の悪さがイヤだ。
何も始まっていない、「始まる前に食い止めねば!」ってのがお題目なんだろうが、始まる前にゆがめていけば、どうにもならなくなる。
「ファシズム」を暴走させたのは、この手のヒステリーだったとわたしは思うんだけどね、その熱烈な礼賛者や信奉者ではなく。
冷静さに欠けて、ただ感情だけに任せて批判をくり返す人間が、現状を理解しているとは私には思えない。
と言うわけで(?)わたしはヒトラーに関するエッセイを読んでいる。
橋下はヒトラーとは違うよ、ヒトラーほどの狂信家とは思わないなあ。なんにせよ、「結果オーライ」であれば、それでいい。
その後にどう退いてもらうか、そういうことを考えておいたほうがいいと思うけど、とにかく「嫌いなものは嫌い!」なんだよね、いやはや。
ま、これだけぐちゃぐちゃ言われているようでは、暴走するか、惨憺たる結果になって、結局現場にいる人は誰も救えませんでした、になるんだろう。
そして「僕らはハシズムに勝った!」になるのかな?いやー「正しい」って素晴らしい。
子どもを育てていると「正しい」なんてことのばかばかしさに気がつくんだけどね。
ヒトラー研究本はなかなかおもしろい。また私が選んで借りてくる本がゲテモノで、大変香ばしくて楽しいざんす。