雑記。

小町で「妊婦だから席を譲ってもらえるとうれしいなあ」なことを書いたひとがいて、そこに出てくる、出てくる、大反発。
びっくりしたのが「私も妊婦だったけど、我慢した!」って人が多かったこと、いや、「我慢させられた!」んでしょ?「空気」を読み過ぎて。
したくなかった我慢をしたが故に他の人にもその我慢を押しつけるって、あまりにも情けなくないか?
そもそも「我慢」が間違いでしょう、
一生に何度もあるわけではない妊婦時代を、もっと快適に幸福に過ごす権利が妊婦さん全員にあるはず。
奪われた権利を同じように奪って、なんになる?
我慢しなくていいんだよ、そのおなかにいる子どもは、いずれこの世界を彩る「仲間」になる、
「仲間」の命を慈しめなくて、どうするんだ?と、わたしは思うなあ。
ここ数年、年寄りと日常的につき合っているので、たまに目にする赤ちゃんの神々しいこと、心が洗われる。
「こんな世界にようこそ、新しい人」とつぶやきたくなる、赤ちゃんは人を幸せにする存在だ。
「子ども嫌いの社会」とは、ある程度文化的に成熟した状態だとどこかで読んだ覚えがあるけれど、
文化が成熟したが故に人間は未熟なままでいられるようになったって事なのかな。
故に、本物の未熟な存在である子ども、子どもを産み出す妊婦を許容できなくなった、そんな感じ?
人間の子ども以上に面白い存在を思いつかない私にはちょっと信じられないアンサー群だった。
多くない数の妊婦を甘やかしても罰は当たらないと思うけどね。
ネットはとくに「母親嫌い」の人が多いようだが、「母親予備軍」にまで憎しみの範囲を広げ始めたか。
見えているものが、それぞれ違うんだろうな、私には見えるものが、妊婦を煩わしいと思う人には見えない、
たぶん、その逆もある。
なんともむなしい話を目にしたものだ。
そういえば、ゴルダ・メイヤーは「今夜もアラブ人の子供が増えていると思うと眠れない」と言ったとか。
戦慄の言葉!
ジョー・サッコパレスチナ」読了、明日以降感想を書く予定。